「YouTubeの使い方」カテゴリーアーカイブ

YouTube登録者数2000人達成!

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やっと2024年5月7日YouTube登録者数2000人達成しました。

目標としては、昨年の12月に2000人を目指していましたが、今年5月の達成となりました。

YouTube登録者数1000人を目指してアップし始めた動画の数は、今までに約100本となりました。

私が、YouTubeを初めたのは、2007年3月30日で初めてアップした動画から数えると291本になります。

その当時は、まだ日本語対応されてなくて英語でした。

なので翻訳ソフトを使いながら登録をして居た様です。

様ですというのは、その頃の事はあまり覚えてなくて ブログにその時の様子を書いていたのでわかりました。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

初めてアップした動画は、独学で練習したショパンの「夜想曲第2番作品9の2」のピアノ演奏でした。

最初の動画から顔出ししていたので顔出しには、あまり抵抗はありませんでした。

それまでは、YouTubeはブログの補助的動画として利用していただけでしたのでYouTubeで 登録者数を増やそうという考えは当時全くありませんでした。

しかし2019年10月に突然YouTubeに目覚めYouTube登録者数1000人を目指し動画編集して投稿をはじめました(^^)

そして2021年3月10日に登録者数1000人達成できその日のうちに収益化申請をしたところ翌日3月11日には、YouTube パートナー プログラムへの参加が承認され晴れてYouTuberになる事ができました。

今は、宇和島の街歩き動画を主に投稿していますので興味のある方はどうぞご覧になってみてください。

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伊予神楽には神躰鈿女舞という官能的な舞が!

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4月14日(日)今回は、宇和島の三島神社の春祭りで行われました伊予神楽の撮影に行ってきました。

三島神社には、5時過ぎに行って伊予神楽を撮影しました。

宇和島市及び北宇和郡一帯の各神社の春、秋の祭りに舞われる神楽が伊予神楽です。

伊予神楽は、古くは男神子(おかんこ)四国神楽と呼んでいて、後に伊予神楽に改名したということです。

諸神造酒祭みきまつりの舞が始まりました。

(面を着けない)素面の四人舞で、衣装は狩衣かりぎぬといて平安時代の公家の常用の略服にこん差袴 さしこといって足首を結ぶようになっている袴で立烏帽子たてえぼしをかぶり 手には木綿四手ゆうしでと言って五色の色紙を用いた御幣の一種を持ちます。

舞座ぶざの中央には神酒みきを置き、東西南北の四方
の神々や氏神に神酒みきを奉納します。

次は、式三番しきさんばの舞
面を付けない素面の一人舞で、衣装は先ほどの諸神造酒祭みきまつりの舞と同じです。

手に持つものは鈴と木綿四手ゆうしでのときと、おおぎ木綿四手ゆうしでのときとがあり、それぞれの舞で神歌かみうたが違うようです。祝いごと始めの舞ということです。

次は、喜余女手草きよめたぐさの舞
素面の二人舞で、衣装は法被はっぴと言って武装の武将や鬼神などの役にふんするときに用いカニアラレという神楽かぐらはかまで風で吹き折られた形の烏帽子えぼしをかぶります。

手にはサカキのシバ(手草)を持ち すがすがしいシバでもって悪魔や罪汚つみけがれをはらい清める舞です。

 

次は、古今老神こきんおきなの舞

面をつけた一人舞で、衣装は浄衣じょうえと言って白の布で仕立てた平安時代以降の公家の普段着を着て、頭には毛冠けかぶとをかぶります。

手にははらえの時に用いる四手のついた大きな串、中啓ちゅうけいを持ちます。

翁面おきなめんのアメノコヤネノミコトの神霊が神々を集め国土安穏こくどあんのん祈願きがんする舞であります。

次は、朝日舞あさひまい

これは、伊予神楽とは違う舞だそうです。

祭祀舞さいしまいともいうようで明治天皇が作られた詩に 昭和になったて曲が作られたモノだそうです。

「朝日舞」は現代神楽かぐらのひとつです。

現代神楽とは、1300年以上続く神楽の歴史で、明治時代以降に新しく作られた神楽舞です。

その多くは女性が舞う「巫女舞みこまい」なんだそうですが、巫女(女性)のいない神社もあり、宮司(男性)の舞が作られました。

宮司以外の神職が舞うこともありますが、主として宮司が舞うことを想定して作られたため「宮司舞ぐうじまい」とも呼ばれています。

次は、内(うち)舞
一人で面を付けて舞います。

衣装は打掛うちかけで、外国から伝承した舞楽に用いる装束しょうぞくはかまを履いて、被衣かづきと言って平安時代から、身分のある女性が外出時に顔を隠すためかぶった衣です。

大山積おおやまずみの神が山を守って万民の悪魔を切り倒すという舞で、シバを刀で切って収めます。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

次は、神躰鈿女しんたいうずめの舞

一人での面を付けた舞です。あま岩戸いわとの前で鈿女うずめ天照大御神をなごめ、いさめる舞です。

天照大神、高天原たかまのはら主神しゅしん、弟スサノオノミコトの粗暴な振る舞いを怒ってあま岩屋戸いわやとに隠れたという神話が伝わっています。

天岩戸神話では、
神代かみよの昔、高天原たかまのはらという神々の世界で暮らす、天照大神あまてらすおおみかみの弟・須佐之男命すさのをのみことは大変暴れん坊でイタズラがひどかったため、天照大御神は天岩戸あまのいわとと呼ばれる洞窟にお隠れになってしまい、世の中が真っ暗になりました。

困り果てた八百万の神々は、天安河原あまのやすかわらで相談し、天岩戸あまのいわとの前でさまざまな試みをしますが、うまくいきません。

そこで、天鈿女命あめのうずめのみことが舞い、周りで神々が騒ぎ立てると、天照大御神あまてらすおういかみが不思議に思って、扉を少し開けました。

神々は「あなた様より美しく立派な神がおいでになりました」と言い、鏡を差し出すと、天照大御神はよく見てみようとのぞき込むように体を乗り出しました。

その時、思兼神おもいかねのかみが天照大御神の手を引き、天岩戸あまのいわとから出てきたことで、世の中が再び明るく平和な時代に戻りました。

古事記には「天香山あまのかぐやまの天の日影ひかげをたすきにかけ、天の真拆まさきをかずらにして、天香山あまのかぐやま小竹葉ささば手草たぐさに結い、天石屋戸あまのいしやとにうけせてとどろかせ、神がかりして、胸乳むなちをかきいで、裳緒もひもをホトにおしれた」と記されています。

次は、弓の舞

面を付けない素面での一人舞で、衣装は法被はっぴという1枚の穴のあいた布を頭からかぶって顔を出し、前も後ろもひだを寄せて帯で縛ったものを着ます。

頭は鉢巻きをして毛頭けがしらと言って長い毛髪を多く取り付けた形のかぶり物を着けます。

武神ぶしんが弓の神威しんいで悪魔を退散させるという舞です。

実際に観客側の天に向けて弓で矢を放ちます。

そして飛ばした矢は、拾った人が持ち帰れるようです。

次は、 神清浄かみしょうじょうの舞

素面の二人舞で、衣装は狩衣かりぎぬ袴で鈴と木綿四手ゆうしでを持ち四方の神々を招き、神楽の庭に迎える舞であります。

舞の型は、式三番しきさんばの舞や喜余女きよめの舞と同じで、これらは「舞い込み」といって「左舞」だけであります。

二人舞のときは右舞をせず、左舞だけだという事で「右舞をして左舞」というのが舞の基本で、右舞だけの舞というのはないそうです。

次は、悪魔払いの舞

素面の四人舞で、衣装は直垂ひたたれと言って平安時代の男子の常服じょうふく引立烏帽子ひきたてえぼしと言って てっぺんを引き立てて礼儀にかなった烏帽子を言います。

鉢巻きは縫い着けてあります。

手には太刀たちおうぎ木綿四手ゆうしでを持ち東方とうほうの青帯龍王、南方なんぽうの赤帯龍王、西方せいほうの白帯龍王、北方ほっぽうの黒帯龍王が悪魔払いをする舞です。

残念ながらiPhoneのバッテリー切れで 最後まで撮影することができませんでした。

 

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天赦園から遊子の段畑から三島神社の春祭り

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昨日は、日曜日で仕事も休みなので朝8時30分に 天赦園の春の風景を撮影に行ってみました。

天赦園の駐車場に車を駐車して中の入り口前を見ると、着物の姿の若い娘等が、天赦園が開くのを待っている様子で 私はそれを横目に何か天赦園であるのかなと思いながら道路側の入り口の撮影に向いました。

昨年11月に撮影に行った時に撮影できなかった場所を今回は、撮影する目的もありましたが、メインは、藤の花を撮影することでした。

天赦園

9時過ぎには、撮影も終わりいったん家に帰り 嫁さんと遊子の段畑に行ってみる事にしました。

嫁さんは、20年くらい前に子供を連れて行ってると言っていました。

私は、てっきり空手の関係で子供らを連れて遊子へ行ったものだと思っていましたが、どうもそれではなかったよです。

その時は、まだだんだん茶屋はなかったそうです。

昨年も段畑は、撮影していましたが、せっかくなので今回も動画の撮影を しながら段々畑の観光コースを歩いてみる事にしました。

前回は、駐車場から段々畑のコースへ登って行ってまた駐車場への階段を下りましたので 今回は、駐車場からの階段を使ってコースへ上がり下りしは駐車場の階段側へは行かず反対の方へ行って道路から駐車場へと帰ってみました。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

そのあと「だんだん茶屋」で昼食を取り「だんだん屋」でジャガイモやジャガイモの焼酎を買って帰りました。

だんだん茶屋

そして14日は、三島神社の春祭りなので お祭りの様子も動画撮影することにしました。

三島神社の春祭り

しかし撮影途中でバッテリーの充電が、なくなり途中で撮影を諦め帰る事になりました。

今回は、1日で3か所も動画撮影してきました。

 

 

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宇和島市内の桜を撮影しに

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インドア派の私が、60歳を越してカメラ片手に町中を歩き回るようになるとは、自分でも想像もしていませんでした。

昨日は、宇和島も桜が咲いてるようなので桜をテーマに動画を撮りにまた市内を歩き回ってきました。

まずは、近所の三島神社の桜を撮ってその足で宇和島市スポーツ交流センターのある来村川沿いに咲いている桜を撮影しました。

三島神社

そのあと宇和島JR駅まで車で行って そこから龍光院へより 辰野川沿いに咲いている桜を撮影しながら金剛山へと向かいました。

龍光院

金剛山の桜は、満開で綺麗でしたね。

おたまえさま

そして愛宕山の桜を撮影に展望台の有る愛宕公園へと登っていきました。

愛宕展望台

途中でちょっとヤバいかなと思う事がありました。

息もハアハアと荒くなってきて 夏場だったら水を携帯していますのに 今回は、水を持たずに来ましたので塩飴でも買っておけば良かったと思った次第です。

愛宕公園に着いたら まずは、ベンチに腰掛けて休みました。

そして公園に咲いている桜を撮影して下りました。

登りながら桜を撮影するより 下りながら桜を撮影する方が良かったかなと思いました。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

登るときは、一所懸命で撮影するのにも頭が回りません。

下りる時の方が、楽で桜も上から撮影する方が綺麗ですね。

ただこの時は、電池とiPhoneの容量を確保するために下りる時は撮影はせずに下りていました。

この後は、来た道を引きかわしJR駅へと向かいます。

帰りも辰野川沿いの桜を撮影しながらJR駅へと向かいました。

そして最終撮影場所は、和霊公園です。

和霊公園に着くと屋台が出て 沢山の人が集まっていました。

桜

花見をしている人も居ました。

昔は、よく和霊公園に焼き肉セット取って夜桜をやっていました。

もう花見も何年もやっていませんね。

そして歩ポは、「11275歩」歩いていました。

歩ポ

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宇和島の旧町名を紹介しながら散歩する動画を作ってみました!

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はい、こんにちはセイコウです。

いつもブログをご覧いただきありがとうございます。

ブラタモリの後追い動画で撮影していました映像でまだ紹介していない動画がありますので その動画を使って動画を作ってみました。動画のタイトルは、「旧町名に隠された歴史 龍華前~船大工町へ」です。

この動画は、昭和41年11月(1966年)に消滅しました旧町名を紹介しながらゴールとなる船大工町の旧町名碑まで歩いて行きます。

龍華前から船大工町へ行くまでのコースにある旧町名なので 宇和島市内の旧町名全部は紹介できませんのでご了承下さい。

まず龍華山等覚寺前にあります龍華橋をスタートします。

そのスタート地点の龍華橋のたもとに「龍華前」の旧町名碑が建てられています。

スタートして直ぐ右に入り宇和津町の細い道を通り本町追手の少し広い通りへ出ます。

出たところの正面に 愛宕町にある西村理容店があります。

そこを右に曲がってから中央町の広い通りを目指します。

中央町の広い通りに出るまでには、明源治と真教寺があり真教寺の角を右へまがるとブラタモリのロケ地となりました赤い橋の辰巳橋があります。

反対の左に曲がりますと六兵衛坂です。

その前を通り過ぎ中央町の広い通りにでて左へ曲がり横断歩道を渡り向こう側に渡ります。

【▼記事は、下記に続く】

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そこからアーケード商店街の「きさいやロード」へ向かい「きさいやロード」を通って駅前通りを目指します。

駅前通りを渡り左の恵美須町のフジを通り過ぎ船大工町の旧町名碑の建ってる場所をゴールとします。

宇和島の旧町名碑は、市内に25カ所に建てられていますが、今回の動画で撮影できた碑は、その内のたった3カ所だけとなります。

そして旧町名については、「龍華前」 「裡町」 「本町」 「追手通り」 「袋町」「竪新町」「船大工町」の7カ所の旧町名を通りましてゴールしました。

もともと旧町名碑を目的に撮影した動画ではありませんでしたので いずれはこの旧町名碑を紹介する動画も撮ってみようと思っています。

はい、という言う事で今回は、「旧町名に隠された歴史 龍華前~船大工町へ」というタイトルの動画を作ってみました。

それでは今日のブログは、以上となります。

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コメントも頂けるとうれしいです。

それでは、バイ、バイ。

 

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