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戸籍の広域交付制度が3月から始まりました!

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今年の3月から本籍地以外の市区町村の窓口でも、戸籍証明書・除籍証明書を請求できるようになりました。

ほしい戸籍の本籍地が全国各地にあったとしても、1か所の市区町村の窓口からまとめて請求できるようになったわけです。

これは、ありがたいですね。

以前は、本籍地ごとに手続きをする必要がありましたので、そこの本籍地の役所まで行かなくては、戸籍を取る事ができませんでしたので便利になりました。

昨年からこの制度が、始まっていれば私も楽だったのですがね。

昨年、母が亡くなって「母の生まれてから亡くなるまでの戸籍」を集める必要があり宇和島の市役所と母の里の松野町役場と大洲市役所の3カ所を回らなくてはなりませんでした。

そして母が亡くなった事をきっかけに母の実家のルーツを探るために原戸籍を集めて家系図を作っています。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

そして私のおばあさんの実の父親の原戸籍を取ろうしたら本籍が県外でしたので 今年の3月から始まる戸籍の広域交付制度を待つことにしていました。

そして今月、宇和島の市役所に行って手続きをしてみました。

すると なんとその日の内に発行して貰えるものだと思っていましたら 1週間以上かかるという事でなんとも驚いた次第です。

戸籍の広域交付制度が、始まったので喜んでいましたのに 思わぬ落とし穴がありました。

 

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私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その23

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前回のブログ(私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その22)の続きになります。

【サヨさんの墓石はどこ?!】

昨日は、日、月と連休でサロンが休みでしたので松丸の芝不器男記念館へ行ってきました。

芝不器男記念館

Facebookのお友達より芝不器男記念館のスタッフに 私のおばあさんの事を ご存じの方がおられるという事をお聞きしていましたので昨日お会いしに行ってきました。

嫁さんを職場に送ったその足で松丸へ向かいました。

松丸について ぽっぽ温泉の駐車場に車を置いて芝不器男記念館へ向かう前に

芝不器男記念館

ついでなので ちょっと松丸でも街歩き動画を撮ってその後で芝不器男記念館へ伺いました。

芝不器男記念館

受付をされていた方が、私のおばあさんをご存じの方でした。

そして私の従妹もご存じで そのスタッフさんの弟さんと私の従妹が同級生だったという事でした。

スタッフさんからは、新しい情報を得る事は出来ませんでしたが、有意義なお話ができました。

芝不器男記念館を出てから近くの永昌寺へ行ってみました。

永昌寺

ここには、母の実家の吉田家のお墓があります。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

今まで墓石をまじまじ見た事がなかったので気がつきませんでしたが、吉田家のお墓の一区画に竹葉のお墓も一緒にある事に気が付きました。

永昌寺

これは、どういう事なんだろうか?

従姉が、話していたように 昔は、兄弟の関係だったのだろうか?

そしてサヨさんの墓石を探してみましたが、見つかりませんでした。

他の場所にあるのかなぁ?

そこで永昌寺で聞いてみよと自宅のブザーを押してみたのですが、誰もおられない様でした。

自宅に帰ってから夕方頃電話をしてみましたが、電話も出られませんでした。

また日を改めて電話してみる事にしました。

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その24

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!(バックナンバー)

 

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私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その21

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前回のブログ(私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その20)の続きになります。

【「杉本家文書」より「吉田竹兵衛」の名前が!】

松野町教育委員会のKさんより吉田家についての新しい情報を頂きました。

町誌の酒造の項には、「杉本家文書」の慶応二年の庄屋の外御目見書に、「松丸吉田竹兵衛同正木又兵衛」の名があり、」
とあり、慶応二年(1866)にも吉田が造酒屋だったことがわかります。

という情報を頂きました。

また「芝家文書」の中に文久元年(1861)8月に書かれた「去申八月より当酉七月迄中用仕出牒」(村の支出)を見てみると、吉田喜兵衛が100 匁、とあり、これは、正木、吉良に次ぐ3番目の金額で、吉田が豪商だったことを物語っています。

吉田喜兵衛は近代、松丸随一の豪商として知られていた吉田屋の前身と考えられ、紙や蝋を大阪と直接取引したとあります。この他、米、酢、茶、椎茸、箸、土瓶、貝柄杓、火縄、鉄砲薬、七嶋、燈明、炭など、食品から炭まで多様な商品の記載がありました。

と「芝家文書」の中にこのような事が書かれている事も教えて頂きました。

そして「吉田喜兵衛」と「吉田竹兵衛」は、同時代に生きた可能性があるということです。

という事は、吉田喜兵衛が、吉田屋の前身と考えられるということですので吉田の本家のご先祖様であることが分かりました。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

そうなると今回新しく登場してきた「吉田竹兵衛」が、私の母の実家の分家の「サヨ」の夫になるのかなと想像しています。

家系図

Kさんも「杉本家文書」より 「吉田竹兵衛」が、造酒屋だったことがわかりますと述べられていますので母の実家のご先祖様に間違いないと思います。

ただ母の実家が、最初現在の正木正光酒造場であったのかを閉鎖登記簿で調べた結果明治32年以前のモノは破棄されていて確認できませんでしたので確証がつかめませんでした。

現在の正木正光酒造場の前は、竹葉酒造であったことは、明治時代の地図で確認できましたので そうなると竹葉酒造の前に吉田が、酒造りをしていたのか?という疑問が残ります。

「吉田竹兵衛」は、どこで酒造りをしていたのかが、知りたいところです。

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その22

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!(バックナンバー)

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父の25回忌

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昨日は、父の25回忌でした。

25回忌と聞くと「えっ?」と思われる人も居ると思います。

私もそうでした。

17回忌のあとは、23回忌かと思っていましたら 大超寺では23回忌はせずに25回忌になると言われてそうなんだとちょっと驚いた事がありました。

これは、お寺の宗派によって違うようですね。

 

私の父は、昭和8年宇和島市に生まれて中学卒業後に 父の後を継ぎ理容師になりました。

私の祖父も理容師でした。

父は、昭和36年に結婚して翌年3代目となる長男の私が生まれます。

昭和37年に宇和島自衛隊募集事務所開設以来より自衛隊募集相談員の役を引き受け理髪店経営という職を生かし自衛隊の広報及び自衛隊の諸行事等に対し積極的な支援協力を行っていました。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

父が、自衛隊募集相談員になるきっかけは、私の父は大阪の理容店に入って理容師をやっていたようで 大阪から愛媛に帰って来たときに松山の自衛隊の中で理容師をやった時期があったそうで その関係で宇和島に帰って来たときに自衛隊募集相談員の声がかかったようです。

父は、母の実家にあった鑑賞石を観て石に目覚め抹香石を集める様になり県内の愛石の会と交流をはじめ愛石展を開催したりしていました。

宇和島の公会堂で石の展示会をしたときには、岸信介氏が石の展示会を観に来られていたようです。

父と岸信介

集める石の種類も広がり平成8年には、念願の石の個展を宇和島伊達博物館で開く事もできました。

伊達博物館

その後、平成12年(2000年)2月11日肝臓癌の為宇和島市立病院にて67歳永眠しました。

 

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私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その20

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前回のブログ(私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その19)の続きになります。

【母の実家は、家系は吉田だけど血筋は竹葉だった】

家系図

 

従姉の母やおばあさんから聞いた話として吉田は、竹葉の血が流れてるという話をされていたそうですが、それが何故かという事は、従妹も理解できていなかったようです。

それを従姉から聞いた私も それについてどういう事なのか謎でした。

それから色々と原戸籍を集めて家系図を作っていくとその理由が判明しました。

戸籍の範囲でわかることは、竹葉家から吉田分家に養子に入っているのは、竹葉家の類蔵の二男の曾祖父で吉田本家からは、喜平の三女のクラさんが、曾祖父と婚姻しています。

しかしこの二人の間には、子供ができていません。

そこで曾祖父は、Y家より養女である私のおばあさんを貰っています。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

実は、私のおばあさんが竹葉の血を引いてる事がわかりました。

それは、Y家に養子に入ったおばあさんの実の父親は、竹葉類蔵の三男だったからです。

という事で 母の実家は、家系は吉田ですが、血筋は竹葉の血を引いている事になります。

これは、原戸籍で分かる範囲での調査なのですが、それより上では、もしかしたら吉田の血と竹葉の血が、繋がっているという事もありうるのかもしれません。

従姉が、言うには竹葉は、吉田の兄弟みたいなものだと聞かされているようですから。

ただ、今のところ その証明はできていません。

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その21

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!(バックナンバー)

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