「小学2年生の頃の作文」カテゴリーアーカイブ

小学2年生の頃の私の文集が見つかった! 作文その9「僕の家」最終話

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今日の「小学2年生の頃の私の文集が見つかった!」 作文その9「僕の家」です。

今回で「小学2年生の頃の私の文集が見つかった!」の最終話となります。

昭和45年2月12日に1枚の作文用紙を使って書いた作文です。

この作文は、先生より五重丸を頂いています。

作文その9「僕の家」1

この作文では、私の家族の事を紹介しています。

まずは、私の家は5人家族である事を紹介しています。

この頃は、愛宕町3丁目の魚屋さんの借家に住んでしました。

そして父と母の仕事の紹介をしています。

父と母は、理容店をしている事を紹介しています。

父は、理容師で母はその手伝いをしていました。

次に妹の紹介をしています。

「くみこちゃんと けいこちゃんは、あゆみ園に行っています。」と書いていました。

そうそう妹達は、あゆみ園に行っていました。

毎日バスで迎えに来ていましたね。

そして妹が、あゆみ園から6時になると帰って来ると書いてありました。

妹が、帰って来たら私が、妹達の子守をしていないといけなかったようですね。

作文その9「僕の家」2

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

この時の妹の歳は、上の妹が3歳で下の妹が1歳くらいですね。

作文の最後に父と母が、仕事から帰って来る時間が書かれていました。

「夜の8時半にお父さんとお母さんが、お店から帰ってきます。」と書いています。

そういえばそのくらいの時間に帰ってきていましたね。

愛宕町の借家は、ちょうど道路を挟んで目の前が父の理容店でしたので 親も子供3人だけを夜8時30分頃まで家においていても 何かあれば 1分以内には駆けつける事ができる距離だったので そんなに心配はなかっただろうなと思います。

そして借家と店とには、普通の電話ではなくて直通の電話のような通信装置がありましたので何かあれば親に直ぐに連絡も取ることができました。

こうやって 私が、小学2年生のときに書いた作文が、この歳になって読めるなんて思ってもみませんでした。

小学生のときに書いた作文や絵を残しておくのも良いモノですね。

タイムカプセルから出て来たみたいなものですね。

それでは、2021年の秋分の日をもって私の小学2年生の時の文集のお話は終わらせて頂きます。

 

 

小学2年生の頃の私の文集が見つかった!作文その1〜9まで

 

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小学2年生の頃の私の文集が見つかった! 作文その8「病気」

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今日の「小学2年生の頃の私の文集が見つかった!」 作文その8「病気」です。

昭和44年11月17日に2枚の作文用紙を使って書いた作文です。

学校から家に帰ってランドセルを置いて外に遊びにでたら気分が悪くなったと書いています。

これを読んで笑ったのが、「ランドセル」を「ダンドセル」と書いていて先生に赤ペンで「ランドセル」に修正されていました。

小学2年生の私は、「ランドセル」を「ダンドセル」と聞こえていたようです。

作文その8「病気」1

 

 

そして 気分がわるくなったので家に帰って熱を計ったと書いています。

7度8分だったと書いていますので

37度8分熱があったんですね。

次の文章を読んでちょっと疑問に思った事がありました。

「お母さんに布団を敷いて貰うとお昼になりました」

と書いてありましたのでちょっとおかしいなと思いました。

学校から帰って来たらお昼は、過ぎていそうですが、でもよくよく考えると この日は、土曜日だったのかなと思いました。

作文その8「病気」2

土曜日なら低学年は、3時間授業だったような気がします?

(記憶が曖昧ですが)

なのでお昼までに家に帰ってこれたようですね。

そして次の文章で その学校から早く帰れた謎が解ける事が書いてありました。

その文章とは、

「それで獅子舞が、始まりました。僕は獅子舞が見れなかったのでつまりませんでした。」と書いています。

私が、熱を出したのはお祭りの日だった事がわかりました。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

秋祭りのようです。

それで学校から早く帰れた理由がわかりました。

宇和島の秋祭りは、宇和島全体ではなく地区でお祭の日が違います。

私は、宇和津校区でしたので一宮様(宇和津彦神社)のお祭になります。

お祭の日は、学校はたしか2時間授業で終わって帰る事ができましたので 冒頭でおかしいなと思った理由が判明しました。

お祭の日だったから学校から早く帰る事ができたんですね。

そして父より「熱を計るように言われます。」

それで計ってみると熱が上がっていたと書いてます。

熱が、何度か書いていませんが、先に計った熱が、37度8分でしたので それより上がっていたという事は、38度になっていたのかもしれません。

そして熱が、上がったので病院へ行って注射をされたようです。

作文その8「病気」3

私が、熱を出した事で家族が、私の事を心配していたと書いてありました。

翌日の朝、食事をすませてから熱を計ると下がっていたようです。

作文その8「病気」4

最後の締めくくりの文章は、「おまつりのひわだから つまりませんでした」と書いています。

正確に書くと「お祭の日は、だから つまりませんでした。」ですね。

ちょうどお祭りの日に病気になってしまったので「つまらなかった」と書いて作文は終わっています。

 

そして次回紹介する「作文その9」が、最後となります。

次回の「小学2年生の頃の私の文集が見つかった!」の投稿予定日は、9月23日を予定しています。

それでは、またのご愛読宜しくお願いします。

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小学2年生の頃の私の文集が見つかった! 作文その7「子守」

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今日の「小学2年生の頃の私の文集が見つかった!」作文その7「子守」です。

この作文は、上の妹が、外で遊びたいというのを 長男の私が、家の中で遊ぶように仕向けて妹の子守をしている様子を書いた作文です。

作文用紙1枚分の作文です。

作文その7「子守」 作文その7「子守」

上の妹が、外で遊びたいと駄々をこねているようです。

それで私は、「外は寒いよ」と妹に言い聞かせているのですが、

妹は、「寒くない!」と言って一向に私の言う事を聞いてくれないようです。

こういう会話をしているということは、季節は秋くらいのようですね。

私は、作文の中で妹が、私の言う事を聞いてくれないので「ボクは、とても困っている」と書いています。

困ってしまった私は、妹を家の中に引き留めておくために おもちゃで釣ることを思いつきます。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

そのおもちゃは、「トンカチ」と書いてありました。

「トンカチ」と聞いてすぐにどんなおもちゃか思い出しました。

これは、木で作られた穴の開いたブロックと釘とトンカチがセットになっていて 穴の開いたブロックに釘をさしてブロックを繋いでいろんな形にブロックを組み立てていくおもちゃです。

その「トンカチ」で遊ぶことを 妹に提案するとその提案に乗って来て「遊ぶ」と言ってくれました。

そして妹とトンカチで遊んだようです。

妹は、トンカチで家を作り私は、ロボットを作ったようです。

妹のご機嫌をとりながら遊ばさなくては、いけないのでお兄ちゃんも大変でしたね。

 

 

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小学2年生の頃の私の文集が見つかった! 作文その6「猿蟹合戦」

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今日の「小学2年生の頃の私の文集が見つかった!」作文その6「猿蟹合戦」です。

これは、国語の教科書で習ったのでしょうか?

それとも読書感想文になるのかわかりません。

作文用紙2枚分の作文でした。

「猿蟹合戦」は、ご存じですよね。

あらすじを 簡単に説明すると

お母さん蟹がおにぎりを持って歩いていると、ずる賢い猿が、拾った柿の種と交換しようと言ってきます。

嫌がるお母さん蟹を猿は、「おにぎりは食べてしまえばそれっきりだが、柿の種を植えれば成長して柿が沢山なりずっと得する」と上手く言いくるめておにぎりと拾った柿の種と交換します。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

お母さん蟹はさっそく家に帰って庭に柿の種を植えて「早く芽をだせ柿の種、出さなきゃ鋏でちょん切るぞ」と歌いながら植えた種に水をやります。

種が成長して柿が沢山なると、そこへおにぎりと拾った柿の種を交換した猿がやって来て 木に登れないでいるお母さん蟹の代わりに自分が柿を採ってやると言って木に登り なっている柿の実を猿が、全部食べてしまい まだ熟していない青く硬い柿の実をお母さん蟹に投げつけお母さん蟹は、それに当たり死んでしまいます。

子蟹達は、お母さん蟹の敵を討つために、栗と臼と蜂の仲間と協力して敵討ちをする計画をねり最後は、見事に親の敵を討つというストーリーです。

「猿蟹合戦」を読んだ私は、作文の最後にこんな感想を書いていました。

「猿に取ってもらう事が、嘘と思わず騙されてお母さん蟹に 青い柿を投げて倒れたところが、かわいそうだった。」と。

そして先生も「柿を投げて倒れたところが、かわいそうだった。」という文章に〇を付けてくれていました。

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小学2年生の頃の私の文集が見つかった! 作文その5「断水」

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今日の「小学2年生の頃の私の文集が見つかった!」作文その作文その5「断水」です。

私が、子供の頃は宇和島では断水は年中行事でした。

断水になると町内に給水車が、やってきて家にある大きなポリバケツに水を貯めていました。

作文の書き出しに「僕のところは、散髪屋です。だから水が沢山いります」と書いてあった。

私も父の後を継いで理容師になっているので 断水のときは大変だったろうなと想像できます。

もう今は、断水なんか起こらないので本当に助かります。

当時、断水したら仕事の方はどういう風にやっていたんだろと想像すると大変さがわかります。

まず水を沸かしてお湯を作っておかなくてはならないし

そしてシャンプーするのに良い湯加減に調整して置いてシャンプーのあと その調整したお湯で流さなくてはならない。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

流す作業は、一人ではなかなかなので二人で作業しないと大変だった思います。

そして閉店したあと洗濯も店のタオルと家の洗濯物となると水も沢山いっただろうなとそんな事を想像します。

そして作文の中に私の就寝時間が、書いてありました。

小学2年生の私は、夜9時半には寝ていたようです。

たいした作文では、ありませんが先生から沢山丸を頂いています。

 

作文その5「断水」 作文その5「断水」

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