「宇和島の散歩道」カテゴリーアーカイブ

金剛山と龍華山に動画取材

【スポンサーリンク】

LINEで送る
Pocket

今YouTube動画で「宇和島の散歩道」の動画をアップしています。

それで今回は、金剛山と龍華山に動画取材行ってきました。

以前、どちらとも「宇和島の散歩道」のブログを書くために写真取材に行っていたのですが、今回は動画の撮影のために また訪れました。

山門

まずは、金剛山から伊達家の墓所を巡りました。

最初は、近くにある初代秀宗の正室「亀」のお墓です。

そして次に そこからけっこう離れてる場所にある藩主のお墓で5代藩主、7代藩主、9代藩主のお墓を動画撮影しました。

そのあとで 金剛山から歩いて龍華山へと場所を移しました。

龍華山山門

せっかくなので 金剛山から龍華山までの道のりも動画撮影してみました。

【▼記事は、下記に続く】

スポンサーリンク


【▲上記の記事からの続き▼】

歩いて約3分ほどで思ったより早く着きました。

龍華山には、初代宇和島藩の藩主伊達秀宗の墓所があります。

そして龍華山には、2代藩主、3代藩主、4代藩主、6代藩主、8代藩主のお墓があります。

でもなぜ5代藩主、7代藩主、9代藩主の墓所は、金剛山なんでしょうね?

5代藩主は、生前から金剛山正眼院こんごうざんしょうげんいんを自分の墓所と定めていたので その没後は正眼院しょうげんいん村候むらときの法名により大隆寺と改名されたという事ですが、7代藩主、9代藩主はどういう理由で金剛山になったのでしょうね?

それと どうして秀宗の墓所が、龍華山で 秀宗の正室は、金剛山なのでしょうね?

そういった?があります。

 

LINEで送る
Pocket

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ にほんブログ村 美容ブログ 理容室・床屋へ

スポンサーリンク
スポンサーリンク

伊達秀宗の前の宇和島城主は?

【スポンサーリンク】

LINEで送る
Pocket

次のYouTubeにアップする動画「金剛山」の事を調べていたら伊達秀宗の前の城主が、「金剛山」を創建した事がわかりました。

伊達秀宗の前の宇和島藩主いや当時は、宇和島という名称ではなく「板島」と言われていていたので板島藩主の富田信高とみたのぶたかが、「金剛山」を創建したということです。

ちなみに富田信高のその前の藩主は、築城の名手の一人に挙げられる有名な藤堂高虎でした。

その藤堂高虎が、「板島丸串城」今の宇和島城を約6年かかって築城したという事です。

富田信高とみたのぶたかは、慶弔13年(1608年)伊予板島いたじま(今の宇和島)に封ぜられ入部すると 今の「金剛山大隆寺こんごうざん  だいりゅうじ」を亡父知信とものぶ菩提ぼだいを弔うために建立こんりゅうしました。

建立こんりゅう当時は、金剛山は、「大隆寺」ではなく金剛山正眼院しょうげんいんと呼ばれていました。

そして富田信高とみたのぶたかが、宇和島に入部してから5年後の1613年(慶長18年)に事件が起こります。

津和野藩つわのはん、今の(島根県津和野町)で富田信高の妻の弟である坂崎直盛さかざき なおもりが、富田信高の妻のおい宇喜多左門うきたさもんと刃傷沙汰を起こし、宇喜多左門うきたさもんは富田信高の妻に助けを求めてきました。

富田信高は、妻の願いを聞き入れ宇喜多左門うきたさもんをかくまいますが、坂崎直盛さかざき なおもりにより徳川幕府に訴えられた末、富田信高は、改易にされてしまいます。

【▼記事は、下記に続く】

スポンサーリンク


【▲上記の記事からの続き▼】

と言う事で富田信高が、藩主であったのは、わずか5年間だけでした。

その後は、幕府の直轄地となり 前藩主だった高虎が、預かり藤堂良勝を城代としています。

その後、慶長19年(1614年)12月に伊達政宗の長子、秀宗が、宇和郡10万石に封ぜられ翌元和元年(1615年)3月に入城後、宇和島城と改めたという事です。

その後は、伊達氏の居城となりました。

宇和島城

 

 

 

LINEで送る
Pocket

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ にほんブログ村 美容ブログ 理容室・床屋へ

スポンサーリンク
スポンサーリンク

えんま様へ行ってきました。

【スポンサーリンク】

LINEで送る
Pocket

地獄のかまふたが開くとされる旧暦1月16日にあわせてこの時期に3日間開催されるお祭りで 毎年この時期に宇和島市にある寺院西江寺せいごうじで開かれ350年以上の歴史があります。

西江寺

ちなみに「地獄のかまふたが開く」とは、盆と正月の16日は地獄の鬼も罪人を責めるのをやめて休息するんだそうです。

今年は、令和5年2月4日(土曜日)~令和5年2月6日(月曜日)
9時~17時の3日間でした。

料金は、無料で観られます。

ちょうど今年は、日曜日にもかかりましたので 2日目の日曜日の朝に えんま様へ動画の撮影へ行ってきました。

駐車場が、無いので西江寺せいごうじまで自転車で行きました。

長堀からなのでけっこうしんどかったです(^^;)

自転車は、真教寺の玄関に置いて西江寺せいごうじまで徒歩で向かいました。

昔なら真教寺の壁沿いにも屋台が、出ていて赤橋の上にも屋台が出店されていたのですが今回は、そこには、屋台は出ていませんでした。

なので撮影は、赤橋のあたりから撮影を始めて西江寺せいごうじへと向かいました。

屋台

赤橋を渡った川沿いから屋台も出店されていて えんま様を見に来られている人けっこう多かったです。

お寺の中へ入って上を見上げると天井には、龍の絵が描かれています。

【▼記事は、下記に続く】

スポンサーリンク


【▲上記の記事からの続き▼】

龍

そして何と言っても中央に掛けられている「えんま様」の絵の迫力は、いつ観ても圧倒されます。

えんま様

小学生の頃は、習字を習いに行っていたのですが、よく半紙に墨でえんま様の絵を落書いて遊んでいた事を思い出しました。

中では、Facebookのお友達が、地獄絵図の解説をされていました。

解説
「地獄極楽絵図」の解説を務める大宮裕子さん

実は、えんま様の解説をされてる方は、私の結婚式の時に司会をして頂きました方なんですよ。

その解説を聞きながら地獄絵図の撮影をしました。

地獄絵図を撮影して回っているとカメラが趣味のFacebookのお友達も見えられいていまして ちょっと立ち話などをしました。

えんま様を観にこられたらせっかくなので西江寺せいごうじの裏の「宇和島24景」の一つに選ばれています立派な庭園がありますので ここも観ておくことをお勧めします。

日本庭園

私もせっかく来たので西江寺せいごうじの立派な庭園も撮影させていただき帰りました。

 

LINEで送る
Pocket

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ にほんブログ村 美容ブログ 理容室・床屋へ

スポンサーリンク
スポンサーリンク

愛宕山が、綺麗に整備されたいた!

【スポンサーリンク】

LINEで送る
Pocket

2015年に愛宕山へ宇和島の散歩道のブログの取材で20歳の頃以来久しぶりに登ってみた事がありました。

その時に登った時の様子は、一宮様(宇和津彦神社)や愛宕山の木々がうっそうと生い茂っていて暗いイメージが残っていました。

Facebookのお友達のコメントで一宮様の「神社の裏に、あかずの井戸が有りその横の崖の所を上がると近道になっていました」という事で その井戸を探したのですが、木々がうっそうと茂っていて その井戸を隠していて全然気が付きませんでした。

一宮様井戸 竹藪
撮影:2015年5月

その後、あらためて一宮様へ井戸探しに行った時は、宮司さんにお尋ねして井戸の場所が、分かった次第でした。

一宮様井戸
撮影:2015年5月

今回は、YouTubeの動画の撮影に2023年1月8日の日曜日に7年ぶりに行ってみると なんとうっそうと生えていた木々が、切られていてスッキリした状態になっていて境内の井戸も一目で分かるようになっていました。

愛宕山へ登ってみると 愛宕山の木や草も刈られていてスッキリして景観もよくなっていました。

愛宕公園に登るまでのところにある4番目の近道も 2015年の時は、草木に覆われていて道も見えない状態でしたが、今回はそこも綺麗に刈られていて 近道も分かる状態となっていました。

実は、2015年に草木の生えた状態の近道を iPhone6で撮影しながら登っていました。

【▼記事は、下記に続く】

スポンサーリンク


【▲上記の記事からの続き▼】

愛宕山第4の近道 2
撮影:2015年5月

そして今回、その道を見てみると結構な急斜面でした。

それを見てあの時よくこんな急斜面を登ったなと思った次第です。

愛宕山近道その4
撮影:2023年1月

その時の2015年5月の映像をYouTubeにアップしていましたんでここに張り付けておきます。

 

 

LINEで送る
Pocket

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ にほんブログ村 美容ブログ 理容室・床屋へ

スポンサーリンク
スポンサーリンク

宇和島市旧町名碑巡り

【スポンサーリンク】

LINEで送る
Pocket

昨日は、サロンの定休日でしたので 朝に自転車で宇和島市旧町名碑巡りをしました。

旧宇和島町名碑

以前宇和島の散歩道のブログに宇和島市旧町名碑の紹介をしていたのですが、以前撮影した旧町名碑の地図は、カビが生えてたり地図が、消えていたりして 地図のコンディションが、悪くなっていました。

先月、市役所に問い合わせをしたところ 宇和島市旧町名碑の地図がリニューアルされたという事で その地図の写真を先月、撮るのに 10か所を巡って撮影しました。

宇和島旧町名 大榎通
宇和島旧町名 龍華前
宇和島旧町名 一宮下
宇和島旧町名 鋸町
宇和島旧町名 大工町
宇和島旧町名 大石町
宇和島旧町名 鎌原通
宇和島旧町名 中町
宇和島旧町名 薬研堀
宇和島旧町名 富澤町

先月は、お散歩動画を撮影しながら宇和島市旧町名碑の地図の撮影をしていましたんで 全部は回り切れず残りの15カ所分を昨日回って撮影しました。

宇和島旧町名 樽屋町
宇和島旧町名 追手通
宇和島旧町名 堀端通
宇和島旧町名 本町
宇和島旧町名 袋町
宇和島旧町名 裡町
宇和島旧町名 龍光院前
宇和島旧町名 竪新町
宇和島旧町名 横新町
宇和島旧町名 向新町
宇和島旧町名 北町
宇和島旧町名 船大工町
宇和島旧町名 北新町
宇和島旧町名 湊町
宇和島旧町名 栄町

【▼記事は、下記に続く】

スポンサーリンク


【▲上記の記事からの続き▼】

なかなか見つけづらかったのは、「栄町」の碑でした。

以前撮影したときも「栄町」の碑を見つけるのに なかなか見つからず難儀しました。

その次に見つけにくかったのは、「龍光院前」の碑でした。

川筋にあったと記憶していたので 川筋を探したのですが、見つからずよくよく地図を見てみると 手前の川筋でした。

跡は、以前書いたブログに ボツボツ新しい地図を載せていきます。

LINEで送る
Pocket

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ にほんブログ村 美容ブログ 理容室・床屋へ

スポンサーリンク
スポンサーリンク