宇和島の散歩道サイトも無事復活することができましたのでこれを機に 宇和島の散歩道に索引を追加してみました。
今までは、サイトマッププラグインで対応していましたが、あまり見やすいとは、いえませんでしたので今回は、手作業でつくってみました。
これならカテゴリ分けも思うようにできますので 観る人もわかり易いと思います。
そして索引をホームにしました。
こんな感じです!
宇和島の散歩道サイトも無事復活することができましたのでこれを機に 宇和島の散歩道に索引を追加してみました。
今までは、サイトマッププラグインで対応していましたが、あまり見やすいとは、いえませんでしたので今回は、手作業でつくってみました。
これならカテゴリ分けも思うようにできますので 観る人もわかり易いと思います。
そして索引をホームにしました。
こんな感じです!
方言札というは、ご存じだろうか?
または、方言罰札とも言われていたようです。
方言罰札とは、標準語を普及させる手段として、主に学校において、非標準語(地方言語・方言)の使用者に掛けさせた札のことです。
1872年(明治5年)に琉球藩となり、1879年(明治12年)沖縄県となり500年にわたる琉球王国歴史は終焉します。
翌1880年、明治政府は沖縄に小学校、中学校、師範学校を設置して本土と同じ共通語を修得させるため、「沖縄対話」の会話教本を出版して方言取締令を出し方言の矯正と標準語の強制を行います。
日本本土との言語差が大きい沖縄県で使われたのが、方言罰札です。
標準語の使用を強制させるため、学校で方言を話した者に、罰として首から下げさせた木札です。
これは、沖縄だけではなく日本各地の学校でもされていたということですが、特に沖縄で厳しく行われ、明治末から第二次大戦後まで用いられていたそうです。
沖縄県での方言札の実態は、方言札はカマボコ板くらいの木札に紐を通したもので、学校で方言を話すと札を首に掛けなければならず、外すには他の生徒が方言を話すのを発見するしかなかったようです。
しかし、方言札制度に反発する生徒によって却って校内での方言が盛んになった例もあったとか、沖縄県のほかに東北地方や鹿児島県でも同様の標準語教育が行われていたようです。
海外でも同じく方言札というモノがありフランスでは、オック語・プロヴァンス語・ブルトン語などの地方言語をフランス標準語に対する方言とし、方言を話した生徒に方言札を掛けさせて、見せしめにするということが行われたそうです。
またイギリスのウェールズでも、同様の例としてWelsh Notがあったそうです。
このフランスの方言札制度が、日本にも輸入されて特に日本本土との言語差が大きい沖縄県の教育現場で熱心に行われたという事です。
2018年11月16日にアップしていたブログ記事「宇和島の情報誌「なんよ」に思う」を見られた方よりメールを頂き知ってる人が、写っているので譲って欲しいというメールを頂きました。
「なんよ」は、何冊かありますのでどれをブログで紹介していかわかりませんでしたので その方にどのページで見られたのかURLをお知らせくださいとメールを返信しました。
するとそのURLが、メールで届いてそのURLをクリックするのですが、そのURLのブログページに飛びません。
「何でだろう?」と何回か試したのですが、ブログページに飛びませんので 次は、そのURLをコピーしてブラウザに貼り付けてアクセスしたのですが、ブログページに飛ばずおかしなページに飛んでいしまいます。
そこで 夜も遅かったので明日にしようと翌日に試してやっと原因がわかりました。
URLが、「http」だったのが原因でした。
私のサイトは、「http」から「https」になりましたのでおかしなページに飛んでしまっていたようです。
でも「http」でも「https」に飛ぶように設定していたのに何故だろう?
そこで「https」にしてアクセスすると「宇和島の情報誌「なんよ」に思う」のページが、表示されました。
それを確認すると 私のサロンの広告を掲載している「なんよ」だとわかりました。
なので記念に取っていた「なんよ」だったのでお譲りできない事をメールでお知らせしました。
すると昨日までちゃんと届いていたメールが、エラーで戻ってきました。
「あれ、おかしいなぁ?」
そこで再度メールを送ったのですが、やはりエラーで戻ってきます。
仕方ないのでこのブログを見られているかどうかはわかりませんが、「お譲りできない」という事をブログを通じてお知らせさせて頂きます。
子供の頃は、遊びの中で「ジャンケン」を する機会が多かったと思います。
日本のじゃんけんの起源は、中国あるいは朝鮮半島から九州に伝来したなど諸説あります。
最も有力な説は、日本に古くからあった三すくみ拳に、17世紀末に東アジアから伝来した「数拳(本拳・球磨拳・箸拳など)」のうち球磨拳の要素が加わった拳遊びから発展して、19世紀末に考案されたいうことです。
【球磨拳】
0 | すべての指を握る | グー | |
1 | 親指のみ開く | ||
2 | 親指と人差し指を開く | チョキ | |
3 | 中指、薬指、小指を開く | ||
4 | 親指以外を開く | ||
5 | 全て開く | パー |
数拳のうち、1, 3, 4が省かれ、分かりやすい0と5、及びその間の2を残し、これらに新しく「石」「紙」「鋏」の意味を与えて三すくみとし今の形になったとされます。
ジャンケンをする時には、一般的に「ジャンケン・ポン」と掛け声をかけていたと思いますが、私が子供の頃は、「じゃんまー・えす」と掛け声をかけていました。
この掛け声って地方によって違うのかなと思いウィキペディアで調べてみました。
すると以上が、紹介されていました。
しかし宇和島で使っている「じゃんまー・えす」は、ウィキペディアで紹介されていませんでした。
「じゃんまー・えす」をウィキペディアに追加編集しておこうかなぁ!(^^;)
昨日父の友達のYさんが、散髪に来店されました。
その時に 橋村寿先生の名前がYさんから出て「橋村寿先生」は、私の父が、城南中学の時に恩師でお世話になった先生です。
Yさんからお聞きした話では、橋村寿先生は、音楽では有名な先生だったという事です。
うちに散髪にも来て頂いていましたので私も面識があります。
その頃は、宇和島の短大の音楽の先生をされていました。
音楽の先生だという事で 橋村寿先生が散髪に来店されたときは、私は先生とよく音楽の話をしていました。
あるとき私が橋村寿先生にピアノに興味があり練習したいとという話をしたら次に来店された時に 橋村寿先生が、ピアノの練習用の教本を2冊持って来て頂き私にプレゼントしていただきました。
|
|
Yさんからお聞きした話では、橋村寿先生は音楽では有名な先生だったとお聞したのでネットで検索したらヒットするかなと検索すると「鬼城」さんのブログで「宇和島鉄道唱歌」が、ヒットしました。
橋村寿先生が、「宇和島鉄道唱歌」を作ったのかなと読んでみると「宇和島鉄道唱歌」を作られたのは、作歌が、小林葭江 氏で作曲が、宇和島高等女学校教諭 林みつ氏ということでした。
そして林みつ先生の原曲は未発見ということで丹野百合さんの伝唱を基にして、橋村寿先生が下記の様に採譜されたということでした。