「宇和島の散歩道」カテゴリーアーカイブ

おばあちゃんの「だんだん」の想い出!

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私が、まだ成人前くらいの頃だっただろうか?

おばあちゃんに頼まれて近所の魚屋さんで刺身を買ってきた時におばあちゃんから「だんだん」と言われた事がありました。

私が、その「だんだん」という言葉を聞いたのは、初めてでした。

「だんだん」って何だろうと思いながらその事を私の父に話したら「だんだん」は、「ありがとう」の事だと教えてくれました。

「だんだん」ってありがとうなんだとその時初めて知りました。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

それから年月が、経ち2013年に家族で松山城へ登るロープウエイで登る建物に入った時だったかマドンナの恰好をした女性に「だんだん」と言われたことを思い出しました。

松山城

今となっては、どういうタイミングで「だんだん」と言われたのかわすれましたが、その時に松山でも「だんだん」という言葉を使うんだと思い記憶に残っていました。

この言葉は江戸中期に京都で派生した挨拶語だそうで京都の女郎屋で使われていた言葉が西日本へ広がったようで松山でも使われていたようです。

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凸凹神社こと多賀神社へ撮影に行ってきました!

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今回は、凸凹神社こと多賀神社へ撮影に行ってきました!

凸凹神社(多賀神社)

前回多賀神社へ行ったのは、2015年の事でした。

あの時は、ブログ「宇和島の散歩道」へ載せる記事の取材でした。

今回は、YouTube動画へアップするための取材です。

多賀神社は、初代久保盛丸くぼ もりまる宮司によって、陰陽研究の道場として「凸凹寺でこぼこじ」が設立され、先代久保凸凹丸くぼ あいまる宮司がアジアを中心に世界各地から性に関する宗教・民族・風俗資料文献を収集し、数万点に及ぶ収集品を公開する場所として世界最高級の性文化財資料館として「凸凹神堂でこぼこじんどう」が建てられ現在に至っています。

午前中は、施設の散髪でしたので 午後から行ったのですが、天気予報を見ると雨が降るような情報でしたので 行こうかどうしようか迷っていまいた。

16時になると降る確立が、下がっていましたので15時30過ぎに 振らない事を祈って多賀神社へ向かいました。

駅前のパーキングに車を止めて 駅前から歩いて多賀神社へ撮影をしながら向かいました。

駅からなら多賀神社までは、歩いて約15分ですね。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

多賀神社の境内の様子を撮影していましたら丸く掘られた石の中に9個の文字が、書かれていた「なぞなぞ」の石があったのですが、その石に書かれている文字が消えかかっていて読めなくなっていました。

9年前も消えかかっていた文字は、ありましたがまだ読めていました。

今では、読めなくなってしまっていますね。

ただ心配な事が、一点あります。

凸凹神社の象徴をYouTube動画にモザイクなしでアップしてNG判断されないかですね(^^;)

さてさて今回の動画は、どう料理しようかなぁ?

 

 

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昭和50年代の宇和島市の観光客の人気スポットは?

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昭和50年代の宇和島の人気観光スポットは何処だと思いますか?
宇和島城、天赦園、伊達博物館、多賀神社、観光闘牛

昭和50年代で一番多かった観光スポットは、多賀神社で昭和53年、54年の年に10万人の観光客が訪れていました。

宇和島市の観光入込客の動向
https://dl.ndl.go.jp/pid/9775281/1/371

その他の宇和島の観光地は、どこも10万人を切っています。

昭和50年代で伊達博物館に訪れた人数は、昭和52年が一番多くて6万7千人でした。

ここで少し面白い事が分かったのですが、昭和52年にNHKの大河ドラマで「花神」が、放送されている年でした。

「花神」は、宇和島も舞台になっている作品です。

この作品は、司馬遼太郎の歴史小説で戊辰戦争で天才的な軍才を振るい、近代日本兵制を創始した兵部大輔・大村益次郎の生涯を描いた作品で『朝日新聞』夕刊紙上で、1969年(昭和44年)10月から1971年(昭和46年)11月まで連載され昭和52年にNHKの大河ドラマで「花神」が放送されました。

蔵六ことのちの大村益次郎が伊予国宇和島藩に招かれ軍学書の翻訳を任されることとなり蒸気船の建造や砲台の建設にも携わるという宇和島が舞台になっている作品でもあります。

NHKの大河ドラマで「花神」が放送された年に伊達博物館に訪れた来場客が多かったという事は、テレビの影響はスゴイですね。

またNHKの大河ドラマで新しい「花神」を制作して放送してもらいたいものです。

坂の上の雲ミュージアム村上海賊ミュージアムが、8万人や6万人の入場者を集められるのも、小説や映画やドラマの影響です。

「坂の上の雲」は、今月またテレビで放送されるようですね。

この様に宇和島の伊達博物館も宇和島の幕末の偉人を小説とかテレビドラマを利用して上手く宣伝すれば伊達博物館への入場者も集められるのではと思うのですがね。

今度できる伊達博物館の維持費は、どのくらい必要なんでしょうね?

伊達家に入館料の半分も渡していたとは知りませんでした。

交渉して減らして貰う事は出来ないんでしょうかね?

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

あとは、伊達博物館の移転場所ですよね。

天赦公園だと一番津波が心配ですね。

最後になりましたが、多賀神社に観光客が多く来られたとうのもテレビのおかけですね。

多賀神社の資料館へ行くと、館内の展示場に入ってすぐ右の場所に色んなテレビへの出演や取材を受けた時の写真などが展示されています。

先代の久保凸凹丸くぼ あいまる宮司 は、昔、放送されていた「東芝ファミリーホール特ダネ登場!?」というクイズ番組形式で「ユニークな人物」や「珍しい苗字や名前」を当てる番組が、ありましたがその番組にも出演されてたようです。

この番組は、子供の頃私もよく見てました(^^)
写真の上には、そのテレビの関係者の名刺とか番組のプログラムも展示されていました。
出演された年月日は、書かれていたのかわかりませんが見る限り見当たりませんでした。

凸凹丸あいまるなんて名前珍しいですよね。

桂小金治のアフタヌーンショー昭和47年9月18日にも出演されたようです。

小金治の「怒りのコーナー」というのがあったようですが、まさかこのコーナーに出演したのかな?
そして小金治さんに怒れていたりして(^^;)a

田宮二郎タイムショック(昭和51年9月11日)にも出演されてるんですね。

イレブンPMは、昭和62年1月12日収録した番組という事です。

なんでも業界を盛り上げるには、スーパースターが必要です。
相撲でも野球でもスーパースターが居てこそ盛り上がります。
宇和島の伊達博物館を盛り上がるのも宇和島の歴史的偉人のスーパースターを作らなくては盛り上がりませんね。

スーパースターが、できればそれにファンやマニアが、できますから段々と興味をもってもらう人が集まって行くような努力をしないとね。

 

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赤染神社について更に調べてみた!

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赤染神社について更に調べてみました。

神社についてしらべるならやはり神社本庁に聞けばわかるかなと思い電話をしてみました。

しかし神社本庁では、わからず愛媛県庁総務部私学文書課に問い合わせてみてはという事で案内されました。

そこで愛媛県庁総務部私学文書課へ電話をしてみました。

こちらで判明したことは、1985年の地図に掲載されていた赤染神社の隣の家の苗字の方が、代表者となっていました。

またこんな話もされていました。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

登記は、せずに別の方が管理されてる場合もあるという事でした。

そこで もし別の方が管理者になられていたら その管理者はわからないですよね。

と私が言うと 情報をネットで探してくださいまして 私も掴んでいた宗教団体の名前を告げられました。

やはりその宗教団体に行きつきますか!

次は、この宗教団体が、赤染神社を管理しているのかを調べてみる必要がありそうです。

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昭和45年、46年の地図には、赤染神社は掲載されてない!

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昭和45年、46年の地図を見るとそれらの地図には、「赤染神社」の掲載がありませんでした。

そこで仮説を立ててこんなことをCopilot(コパイロット)AIに質問してみました。

「宗教法人でない神社は、神社として地図には載らない?」

するとこんな回答が、返ってきました。

その通りです。日本では、神社は一般的に宗教法人として登録され、その結果、地図上に表示されます。しかし、宗教法人として登録されていない神社は、公式には神社と認識されず、地図に表示されないことがあります。これは、地図製作者が公式の情報源からデータを取得し、その情報源が宗教法人として登録されている神社のみをリストアップしているためです。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

それでも、地元のコミュニティにとっては、これらの神社は重要な場所であり続けています。それらは地元の伝統や文化を反映しており、地元の人々にとっては神聖な場所となっています。それゆえ、地図に載っていない神社も、その地域の文化遺産の一部と言えます。

しかし、これらの神社を訪れる際には、地元の習慣や規則を尊重することが重要です。それらは公式の神社とは異なり、特定のプロトコルや手続きが存在するかもしれません。それらを理解し、尊重することで、訪問者は地元の文化をより深く理解し、尊重することができます。それは、私たちが旅行するときに常に心に留めておくべきことです。それは、私たちが訪れる場所の文化と伝統を尊重し、理解することで、より豊かで充実した経験を得ることができるからです。・・・・・・・・

長くなりますのであとは、割愛しました。

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