「宇和島の散歩道」カテゴリーアーカイブ

宇和島の散歩道サイトに索引を追加

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宇和島の散歩道サイトも無事復活することができましたのでこれを機に 宇和島の散歩道に索引を追加してみました。

今までは、サイトマッププラグインで対応していましたが、あまり見やすいとは、いえませんでしたので今回は、手作業でつくってみました。

これならカテゴリ分けも思うようにできますので 観る人もわかり易いと思います。

そして索引をホームにしました。

こんな感じです!

宇和島の散歩道

宇和島のUFO研究所
清家新一氏の宇宙研究所 (前篇)
清家新一氏の宇宙研究所 (後篇)
宇和島の謎
宇和島の謎 ポツンと道幅の広い道路
宇和島の謎「三島神社・古城山・堀部公園」

宇和島の秘宝館(凸凹神社)
凸凹神堂・多賀神社1
凸凹神堂・多賀神社2
凸凹神堂・多賀神社3
凸凹神堂・多賀神社4
凸凹神堂・多賀神社5
凸凹神堂・多賀神社6
凸凹神堂・多賀神社7
凸凹神堂・多賀神社8
凸凹神堂・多賀神社9

宇和島の旧町名
旧町名一覧
宇和島旧町名 大榎通
宇和島旧町名 龍華前
宇和島旧町名 一宮下
宇和島旧町名 鋸町
宇和島旧町名 大工町
宇和島旧町名 樽屋町
宇和島旧町名 大石町
宇和島旧町名 鎌原通
宇和島旧町名 中町
宇和島旧町名 追手通
宇和島旧町名 堀端通
宇和島旧町名 本町
宇和島旧町名 袋町
宇和島旧町名 裡町
宇和島旧町名 龍光院前
宇和島旧町名 竪新町
宇和島旧町名 横新町
宇和島旧町名 向新町
宇和島旧町名 北町
宇和島旧町名 船大工町
宇和島旧町名 北新町
宇和島旧町名 湊町
宇和島旧町名 栄町
宇和島旧町名 薬研堀
宇和島旧町名 富澤町

宇和島の横丁
横丁一覧
トンネル横丁
宇和島の風呂屋横丁(ふろやよこちょう)
宇和島の漆端(うるしばた)
御先見横丁(おさきみよこちょう)
伴の町(ばんのちょう)
大津屋横丁(おおつやよこちょう)
新横丁(しんよこちょう)
奈良屋横丁(ならやよこちょう)
宇和島のおこわ横丁

宇和島の方言
宇和島の方言索引

宇和島の島嶼部の方言
島嶼部の方言索引

宇和島城
宇和島城・追手門
宇和島城・上り立ち門より登城
宇和島城・上り立ち門
宇和島城・井戸丸へ
宇和島城・城の屋根と家紋
宇和島城・天守閣三階へ
宇和島城・天守閣二階へ
宇和島城・天守閣内へ
宇和島城・本丸へ
宇和島城・二ノ丸へ
宇和島城・城山公園
宇和島城・児童公園をめざして
宇和島城・桑折武家長屋門
宇和島城からの風景
字和島城

宇和島市立病院
市立宇和島病院裏通り(宇和島の散歩道 初投稿 2015.01.01)

宇和島の小学校・幼稚園
宇和津小学校 古い写真
宇和津小学校

鶴城幼稚園

宇和島市内
現在の愛宕町
愛宕町界隈
樋口虎若邸
柳町(やなぎまち)
冠の柳

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

宇和島駅
昭和30年代の宇和島駅夜景
母と私と宇和島駅
母と私と宇和島駅 その2
宇和島の扇形機関庫と転車台

宇和島公会堂
宇和島のシロクマ

宇和島のえんま様
西江寺・えんま様その1
西江寺・えんま様その2
西江寺・えんま様その3
西江寺・えんま様その4(庭園)

宇和島の有名コマ屋
宇和島のコマ屋「渡辺」
宇和島のコマ屋「ろくろ屋」
宇和島のコマ屋「薬師神」

宇和島の子供の遊び
「うつぱん」で「ほんこ」「うそこ」

赤松遊園地
赤松遊園地の覗き岩
赤松遊園地の竜宮城
赤松遊園地のキャラクター遊具
赤松遊園地のブランコ
覗岩遊園地と水交亭
赤松海水浴場

昭和32年頃の宇和島の商業
昭和32年頃の喫茶店とキャバレー
昭和32年頃の観光旅館連盟
昭和32年頃の宇和島の旅館やホテル
昭和32年頃の宇和島の遊戯場
昭和32年頃の宇和島の銭湯
昭和32年頃の宇和島の料理・飲食業
昭和32年頃の宇和島の理容店
昭和32年頃の宇和島の美容店
昭和32年頃の宇和島の印刷・出版関係
昭和32年頃の宇和島の文房具店
昭和32年頃の宇和島の写真店
昭和32年頃の宇和島の運送業
昭和32年頃の宇和島の運動具・玩具店
昭和32年頃の宇和島の菓子・製パン・饅頭
昭和32年頃の宇和島の衣料・呉服店
昭和32年頃の宇和島の綿・寝具店
昭和32年頃の宇和島の洋服・洋裁仕立て

宇和島の映画館
昭和32年頃の宇和島の映画館

宇和島のクアホテル
クアホテル

愛宕山
私の生まれ育った愛宕町
一宮様
一宮様から愛宕山へその前にYH
愛宕山へ登ります!
愛宕山の芭蕉の句碑
愛宕公園を目指して
愛宕公園
愛宕公園展望台
鬼ヶ城への登山口
森の宿 うわじまユースホステル
宇和島愛宕山の近道
宇和島愛宕山の近道その1
宇和島愛宕山の近道その2
宇和島愛宕山の近道その3
宇和島愛宕山の近道その4

宇和島の川
宇和島のエンコの釜
宇和島の暗淵(くらふち)

一宮様
一宮様の井戸を発見!

和霊様
和霊神社の拝殿
和霊神社からの風景
和霊神社の神門
和霊公園の大きな滑り台

金剛山
金剛山の水飲み場
金剛山の想い出の絵
金剛山大隆寺
御霊屋(おたまや)様
御霊屋(おたまや)様と児童遊園

伊達家墓所
伊達家墓所〜金剛山編1
伊達家墓所〜金剛山編2
伊達家墓所〜金剛山編3
伊達家墓所〜金剛山編4
伊達家墓所〜金剛山編5
伊達家墓所〜金剛山編6

伊達家墓所〜龍華山編1
伊達家墓所〜龍華山編2
伊達家墓所〜龍華山編3
伊達家墓所〜龍華山編4
伊達家墓所〜龍華山編5
伊達家墓所〜龍華山編6
伊達家墓所〜龍華山編7
伊達家墓所〜龍華山編8
伊達家墓所〜龍華山編9
伊達家墓所〜龍華山編10 最終話

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標準語を普及させる手段として「方言札」が使われていた!

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方言札ほうげんふだというは、ご存じだろうか?

または、方言罰札とも言われていたようです。

方言罰札とは、標準語を普及させる手段として、主に学校において、非標準語(地方言語・方言)の使用者に掛けさせた札のことです。

1872年(明治5年)に琉球藩となり、1879年(明治12年)沖縄県となり500年にわたる琉球王国歴史は終焉します。

翌1880年、明治政府は沖縄に小学校、中学校、師範学校を設置して本土と同じ共通語を修得させるため、「沖縄対話」の会話教本を出版して方言取締令を出し方言の矯正と標準語の強制を行います。

日本本土との言語差が大きい沖縄県で使われたのが、方言罰札です。

標準語の使用を強制させるため、学校で方言を話した者に、罰として首から下げさせた木札です。

これは、沖縄だけではなく日本各地の学校でもされていたということですが、特に沖縄で厳しく行われ、明治末から第二次大戦後まで用いられていたそうです。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

沖縄県での方言札の実態は、方言札はカマボコ板くらいの木札に紐を通したもので、学校で方言を話すと札を首に掛けなければならず、外すには他の生徒が方言を話すのを発見するしかなかったようです。

しかし、方言札制度に反発する生徒によって却って校内での方言が盛んになった例もあったとか、沖縄県のほかに東北地方や鹿児島県でも同様の標準語教育が行われていたようです。

海外でも同じく方言札というモノがありフランスでは、オック語・プロヴァンス語・ブルトン語などの地方言語をフランス標準語に対する方言とし、方言を話した生徒に方言札を掛けさせて、見せしめにするということが行われたそうです。

またイギリスのウェールズでも、同様の例としてWelsh Notがあったそうです。

このフランスの方言札制度が、日本にも輸入されて特に日本本土との言語差が大きい沖縄県の教育現場で熱心に行われたという事です。

 

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宇和島の情報誌「なんよ」お譲りできません!

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2018年11月16日にアップしていたブログ記事「宇和島の情報誌「なんよ」に思う」を見られた方よりメールを頂き知ってる人が、写っているので譲って欲しいというメールを頂きました。

「なんよ」は、何冊かありますのでどれをブログで紹介していかわかりませんでしたので その方にどのページで見られたのかURLをお知らせくださいとメールを返信しました。

するとそのURLが、メールで届いてそのURLをクリックするのですが、そのURLのブログページに飛びません。

「何でだろう?」と何回か試したのですが、ブログページに飛びませんので 次は、そのURLをコピーしてブラウザに貼り付けてアクセスしたのですが、ブログページに飛ばずおかしなページに飛んでいしまいます。

そこで 夜も遅かったので明日にしようと翌日に試してやっと原因がわかりました。

URLが、「http」だったのが原因でした。

私のサイトは、「http」から「https」になりましたのでおかしなページに飛んでしまっていたようです。

でも「http」でも「https」に飛ぶように設定していたのに何故だろう?

そこで「https」にしてアクセスすると「宇和島の情報誌「なんよ」に思う」のページが、表示されました。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

それを確認すると 私のサロンの広告を掲載している「なんよ」だとわかりました。

なんよ

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なので記念に取っていた「なんよ」だったのでお譲りできない事をメールでお知らせしました。

すると昨日までちゃんと届いていたメールが、エラーで戻ってきました。

「あれ、おかしいなぁ?」

そこで再度メールを送ったのですが、やはりエラーで戻ってきます。

仕方ないのでこのブログを見られているかどうかはわかりませんが、「お譲りできない」という事をブログを通じてお知らせさせて頂きます。

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日本のジャンケンの掛け声

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子供の頃は、遊びの中で「ジャンケン」を する機会が多かったと思います。

日本のじゃんけんの起源は、中国あるいは朝鮮半島から九州に伝来したなど諸説あります。

最も有力な説は、日本に古くからあった三すくみ拳に、17世紀末に東アジアから伝来した「数拳(本拳・球磨拳・箸拳など)」のうち球磨拳の要素が加わった拳遊びから発展して、19世紀末に考案されたいうことです。

【球磨拳】

0 すべての指を握る グー
1 親指のみ開く
2 親指と人差し指を開く チョキ
3 中指、薬指、小指を開く
4 親指以外を開く
5 全て開く パー

 

数拳のうち、1, 3, 4が省かれ、分かりやすい0と5、及びその間の2を残し、これらに新しく「石」「紙」「鋏」の意味を与えて三すくみとし今の形になったとされます。

ジャンケンをする時には、一般的に「ジャンケン・ポン」と掛け声をかけていたと思いますが、私が子供の頃は、「じゃんまー・えす」と掛け声をかけていました。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

この掛け声って地方によって違うのかなと思いウィキペディアで調べてみました。

  • 北海道 – じゃらけつほい
  • 仙台 – いしけんぎっ、じっけっぴっ
  • 南東北 – じっけった
  • 北関東 じーげんぴっ
  • 関西 – いんじゃんほい(「いーんじゃーんで、ほーい」とのばす場合もある)
  • 東海 – いんちゃんし
  • 静岡 じすとっぺ
  • 飛騨 – じゃんけんしっ
  • 山陽 – じっけった

すると以上が、紹介されていました。

しかし宇和島で使っている「じゃんまー・えす」は、ウィキペディアで紹介されていませんでした。

「じゃんまー・えす」をウィキペディアに追加編集しておこうかなぁ!(^^;)

 

 

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音楽教師の橋村寿先生の想い出

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昨日父の友達のYさんが、散髪に来店されました。

その時に 橋村寿先生の名前がYさんから出て「橋村寿先生」は、私の父が、城南中学の時に恩師でお世話になった先生です。

Yさんからお聞きした話では、橋村寿先生は、音楽では有名な先生だったという事です。

うちに散髪にも来て頂いていましたので私も面識があります。

その頃は、宇和島の短大の音楽の先生をされていました。

音楽の先生だという事で 橋村寿先生が散髪に来店されたときは、私は先生とよく音楽の話をしていました。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

あるとき私が橋村寿先生にピアノに興味があり練習したいとという話をしたら次に来店された時に 橋村寿先生が、ピアノの練習用の教本を2冊持って来て頂き私にプレゼントしていただきました。

Piano Lesson 60時間
Piano Lesson 60時間

My Teacher
My Teacher

Yさんからお聞きした話では、橋村寿先生は音楽では有名な先生だったとお聞したのでネットで検索したらヒットするかなと検索すると「鬼城」さんのブログで「宇和島鉄道唱歌」が、ヒットしました。

橋村寿先生が、「宇和島鉄道唱歌」を作ったのかなと読んでみると「宇和島鉄道唱歌」を作られたのは、作歌が、小林葭江 氏で作曲が、宇和島高等女学校教諭 林みつ氏ということでした。

そして林みつ先生の原曲は未発見ということで丹野百合さんの伝唱を基にして、橋村寿先生が下記の様に採譜されたということでした。

宇和島鉄道唱歌                   南予時事新聞社主幹 小林葭江 作歌
宇和島高等女学校教諭 林みつ 作曲1 朝(あした)の帆影 夕けむり 町 賑わしき宇和島の 鶴島城を後に見て いざや走らん汽車の旅
2 鎌江の杜に齋(いつ)きたる 和霊の宮に ぬかずきて 祈る心のやさしさを 神も うけてや守るらん
3 ペンキの色も新しき 宇和島駅に来て見れは プラットフォームに人充ちて 烟(けむり)は空に立ちのぽる
4 車掌が合図の笛の音に 時を違(たが)へず動ぎ出す 列車のきしる響には 須賀の水音物ならず
5 見上ぐる毛山 鬼ケ域 後に残して次に来る 八幡川原はその昔 安藤継明 忠死の地
6 鉄軌(レール)に沿へる川水の 上吹く風も心地よく 高串川の鉄橋も 瞬く ひまに走るなり
7 鍬もつ人も手をやすめ 道ゆく人も足とめて 見送る汽車は程もなく 高串駅に着きにけり
8 踏切り越えて山の手を たどる彼方に絵の如き 丁字(ていじ)の路は真直に 知永の坂を吉田まで
9 光満の谷の奥ふかく のぼりは汽車も遅ければ ゆきかう人や馬 車 呼べば応(こた)えんばかりなり
10 堀切りすぎて前に見る 駅は名に負う光満駅 積み出す里の産物は 光満牛蒡(みつまごぼう)に柑橘類
11 長追川に架けわたす 拱橋(アーチ)のさまも面白く 泉ヶ森を右にして 渡るもうれし拱(こう)の川
12 うねりくねれる坂路を 馬根まで走る三哩 窓の峠は まど近く 手に取る如く聳(そび)えたり
13 山と山との問にある 小池に影を映しつゝ 警笛高くひゞかせて 昼も小暗きあなに入る
14 岩切りぬきて貫(とほ)したる 窓の峠の隧道(トンネル)は 沿線一の難所にて 長さは二百数十尺
15 入りてはくゞる隧道(トンネル)の 前に開けし三間の郷 目さきに高き猪の鼻を 彼方にこゆる野村道
16 目もはるかなる田畠(でんばた)は 実(げ)にこの郷の誇りにて 四季折々の作物や 編み出す筵(むしろ)幾何ぞと
17 春は菜種に青き麦 秋は稲葉の黄金色 蚕飼(こかひ)の業も年々に 進みて村を富ますなり
18 務田の駅を後にして わたる小橋は務田川 仏ケ崎や森ケ鼻 左手に近く見ゆるなり
19 野村におこる水電の 変圧所とはあれなるよ 学びの庭に声するは 唱歌の節か音読か
20 四国札所の-つなる 仏木寺へは近けれど 又こん時もあるべしと ゆくてを急ぐ今日の旅
21 はや遠ざかる青稲田 戸雁の里も打ちすぎて 商家の軒の立ち並ぶ 宮野下とはここなれや
22 駿馬献じて御馬(みま)といふ 里の名得たる三間村に いつく三島の社より 左に見ゆる稲荷山
23 宮野下川 増穂川 金剛川(かなどうがわ)や小井出川 小川にかゝる橋々を 鳥より早く越していく
24 中野駅より一哩 走れば来る大内(おほち)駅 道行く人と手を交(かわ)し 語らま欲しきばかりなり
25 三間米産地の広き田を 過ぐれば来る絹笠の 古城にのこる故事(ふるごと)を 告ぐるか山のほとゝぎす
26 田畑を四方に見下せる 好藤村の学び家は 小高き丘に位置しめて 風もすゞしく月清し
27 ゆくてにかゝる三間川の 鉄橋(くろがねばし)は美しく 絵にある橋の如くにて 岸より岸に九十尺
28 沢松すぎて見もあかぬ 稲田の中に賤の家(や)の 竈(かまど)ひときは脹(にぎ)はふは 歴史に名ある内深田
29 深田は桜の名勝地 春は爰(ここ)より汽車降りて 棚曳く雲に大本の 社めぐりも面白や
30 勾配ゆるき鉄の 道ゆくひまも夢のごと 十余哩をやすやすと 近永駅につきにけり
31 右に旭の水わかれ 仙波峠も近くして 滝に名を得し仙郷を 辿(たどる)るも旅の土産(つと)なれや
32 左に泉 三島村 小倉の里に轟の 名所見ながら谷ふかく 成王(なるおう)瀬淵も探らなん
33 流れ絶えせぬ奈良川の 土手に匂ふは菫(すみれ)ぐさ 霞のおくに眺めやる 伽藍はふるき等妙寺
34 後醍醐帝の大御代に 天下四個寺と数へたる ゆかりも深きこの寺の 栄えもながき永野市(いち)
35 近永駅より一筋に のばす線路は松丸へ とゞく鉄軌の汽車の道 吉野にまでも及ぶらん
36 さてゆくゆくは吉野より 予土国境をふみ越えて 渡川(とがわ)をわたる時も来ん 開けゆく世の頬母しや林みつ先生の原曲は未発見なので、丹野百合さんの伝唱を基にして、橋村寿先生が下記の様に採譜されています。橋村寿先生が下記の様に採譜

鬼城より転載

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