「宇和島の謎」カテゴリーアーカイブ

袋町水月堂支店ってどこだったんだろう?

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Facebookのお友達のまーきみ。さんが、最近昔の新聞に掲載されていたクイズを出題されいます。

どんなクイズかというと 昔の宇和島の場所やお店が写った写真を見て場所を当てるクイズです。

昨日出題さたクイズは、ある店舗の写真でした。

袋町・水月堂支店
まーきみ。さんのFacebookより

最初見たときは、角店のように見えたので それでパッとひらめいたお店は、本町追手の精肉店「 伊予政 」かと思いました。

でもあとから出された正解を見ると 精肉店の「 伊予政 」 ではありませんでした。

正解は、「袋町の水月堂支店」でした。

袋町・水月堂支店

しかし私には、この袋町の水月堂支店の記憶がありません。

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堀端の水月堂ならよく知っているのですが、水月堂に支店があった事も知りませんでした。

堀端水月堂

そこで私が、持って居る昭和46年の宇和島の地図で袋町を探してみましたが、見つけることができませんでした。

袋町商店街は、銀天街の入り口にある木藤時計店からずっと下がった新橋銀天街手前までです。

もう昭和46年には、無くなっていたのかな?

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宇和島の謎 ポツンと幅広い道路

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たこ焼き屋

樽屋町たるやまちの名称碑の建っている場所ですが、上の写真は右側が愛宕町3丁目と左側が本町追手1丁目の境にある道路幅の広い場所ですが、なぜここだけこんなに道路の幅が広いのかという質問が、コメントでありました。

下のGoogle Earthの写真で見るとよくわかりますが、他の道路に比べてここだけ道幅が広くなっています。

地図

これについて聞いてみるとこの辺りは、戦前住宅が密集していたところで その為戦時中建物疎開があり 一列の長屋を解体したための名残で今もここだけ道幅が広く残っている様です。

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建物疎開とは、激化げきかする都市への空襲くうしゅうそなえ、火災かさい延焼えんしょうふせぐため、建物を解体かいたいして防火帯ぼうかたいを作ることを建物疎開たてものそかいといいます。

そして本当は、今の城東交番手前の家まで建物疎開で下の黄色の部分は、同じ幅の道路だったそうです。

樽屋町建物疎開範囲地図

それが終戦後「A」の区間だけバタバタと建物が建ち道路の幅が、狭くなったという事です。

小川菓子店

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