はやぶさ2と真珠湾攻撃の決断!

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太平洋戦争中の軍用機で最も有名な機体は海軍の零式艦上戦闘機、通称「ゼロ戦」と陸軍の一式戦闘機、通称「はやぶさ」の2機種でありますが、今日の話はその「はやぶさ」とは違います。

そう今回リュウグウへ行ってリュウグウの物質を持ち返ってきたであろう「はやぶさ2」の事です。

その「はやぶさ2」と真珠湾攻撃に何の関係があるのかと首をかしげる人もいると思います。

実は、これが大ありなんです。

それは、プロジェクトのトップの思いが同じだったんですね。

それは、真珠湾攻撃しんじゅわんこうげきで奇襲攻撃が大成功したあとの第二次攻撃をするかしないかの決断と

そしてはやぶさ2が、1回目のリュウグウの物質の採取成功後の2回目のリュウグウの地下物質の採取をするかしないかの決断です。

それでは真珠湾攻撃しんじゅわんこうげきについて少しお話をします。

真珠湾攻撃しんじゅわんこうげきは、日本時間1941年(昭和16年)12月8日未明、ハワイ時間12月7日)は、第二次世界大戦において日本海軍が、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して行った、航空機および潜航艇による奇襲攻撃でありました。

昨日が、ちょうど79年前のその日でありました。

当時、真珠湾攻撃は奇襲攻撃で大成功をおさめました。

ただワシントンでの最後通告が開戦後にずれこんだために結果的に騙し討ちをしたように米国には取られ米国民の戦意を高める結果となりました。

今では、「真珠湾攻撃は失敗だった」という声もあります。

それは、一番の目標にしていた空母「エンタープライズ」「レキシントン」を逃がしてしまったためです。

2隻の空母はちょうど航海中で真珠湾に駐留していませんでした。そのため現在でも「なぜ第2次攻撃を決行しなかったかという批判があります」

当時の日米両軍の状況を分析し、第2次攻撃を決行していたら機動部隊が索敵すれば米空母を発見できた可能性が十分あったという分析もされています。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

批判は、現地で部下から第2次攻撃の提案があったにもかかわらず追加攻撃をためらった機動部隊の南雲忠一司令官と第2次攻撃の督促しなかった山本五十六に向けられています。

南雲は永野修身軍令部長から空母を損傷させないように強く要望されていたことも影響したとの指摘もあります。

南雲は、航空部隊は専門外で、当初から作戦が成功するかどうかも懸念していたということで奇襲攻撃で大戦果をあげられたので 敵の反撃を受ける前に敵地から早く離脱したかったのでしょうね。

話は、変わってはやぶさ2ですが、宇宙航空研究開発機構(JAXA)上層部は、1回目のリュウグウの物質の採取は成功していますので 危険をおかして2回目の地下物質の採取には反対していました。

JAXAの國中均所長は、「また危険をおかす必要があるのか?60点で帰ってくれば良い。国の予算を使うのだから失敗は許されない。」という意見でした。

JAXAの國中均所長にしてみたら79年前の真珠湾攻撃の機動部隊の南雲忠一司令官と同じ気持ちだったんでしょうね!

これに対してJAXAチームのプロジェックとマネージャーの津田雄一は、風化してない地下物質は価値があるから着陸して採取すべきだという考えでした。

真珠湾攻撃に参加した攻撃部隊が、第2次攻撃をと南雲忠一司令官に詰め寄っている感じですね。

このときにJAXAチームのプロジェックとマネージャーの津田雄一は、孫子の兵法で「相手を知り己をしれば百戦危うからず」で まずは、はやぶさ2の着陸地点に危険な岩が無い事を再確認したのちに制御エンジンが想定通り噴かないなどの10万通りのケースを想定して そのすべてで対応できる事を示してようやく上層部の了解を得て2回目の着陸そして地下物質採取に成功しました。

上層部としては、もし2回目の地下物質の採取に挑んで失敗しはやぶさ2になんらかのダーメジを受けてしまったら1回目のリュウグウで採取できたであろう物質も地球に持ち返れなかったらという不安がよぎったのでしょうね。

機動部隊の南雲忠一司令官同様、艦隊や乗組員を無傷に日本へ帰還させたいという思いと一緒ですね。

トップの責任ある立場にあるとJAXAの上層部や國中均所長にしても真珠湾攻撃の機動部隊の南雲忠一司令官や連合艦隊司令長官山本五十六にしても トップとしては、できるだけリスクは取らず安全策を取りたいんでしょうね。

 

 

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