「自分で自分を踏み殺した女子学生」樺 美智子

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樺美智子かんば みちこさんってご存じでしょうか?

60年安保闘争で死亡した東京大学の女子学生としてよく紹介されます。

復刻 人しれず微笑まん―樺美智子遺稿集

石原慎太郎氏は、樺美智子かんば みちこさんの死について「自分で自分を踏み殺した女子学生」と表現しています。
これは、いったいどういう意味でしょうか?

なぜ石原慎太郎氏は、樺美智子かんば みちこさんの事をそのように言うのでしょうか?

ウィキペディアや他のネット情報で彼女の事を調べてみました。

彼女は、1937年(昭和12年)11月8日  生まれで1957年(昭和32年)11月の誕生日に日本共産党に入党しています。

その後、共産主義者同盟の活動家として1960年(昭和35年)6月15日 水曜日 の安保闘争に参加して亡くなります。

いくつかの文献では、樺美智子かんば みちこさんが活動家であったことを記述せず、単に「女子学生」「女子東大生」としか記していません。

これは、何か意図的にそう紹介しているのでしょうかね?

共産主義者同盟の活動家というより単に「女子学生」「女子東大生」とした方が、同情を誘いますよね。

私も今まで樺美智子かんば みちこさんを 普通の女子大生だと思っていましたのでデモに巻き込まれて不運にして亡くなられたのかと思っていました。

彼女は、学者を目指していて徳川慶喜とくがわよしのぶに関する卒論に取り組んでいました。

事件当日には所属していた国史研究室の先輩にあたる伊藤隆(当時修士2回生)と、こんな会話を交わしています。

伊藤隆に「卒論の準備は進んでいるか」と聞かれ

彼女は、「今日を最後にするからデモに行かせてほしい」と頼んでいます。

それに対して伊藤隆は、「じゃあ、それが終わったら卒論について話をしよう」という会話を交わし樺美智子かんば みちこさんは、帰らぬ人となりました。

1960年(昭和35年)6月15日 水曜日 のデモで全学連主流派が衆議院南通用門から国会に突入して警官隊と衝突した際に彼女は死亡したという事です。

享年22歳でした。

死亡当日は、淡いクリーム色のカーディガンに白のブラウス、濃紺のスラックス姿だったということです。

石原慎太郎氏が、「自分で自分を踏み殺した女子学生」と表現したのは、自分でそういう危険な道を選択したためという事で彼女の死は、自業自得だったという事を言っているのでしょうね。

警察病院の検死では死因は胸部圧迫及び頭部内出血となっていいますが、死に至った原因はハッキリしていないようです。

これについて警察側は転倒が原因の圧死と主張し、学生側は機動隊の暴行による死亡と主張しどちらが本当なのかわかっていません。

保阪正康氏によると、樺美智子かんば みちこさんの死に対し中国からカンパが寄せられたそうです。

当時の日本円で約1,000万円だったそうです。

それが、日本共産党が全額手中に収め、「これは前衛政党に送られたもの」と主張しもめた挙句に救援会が作られたが、樺美智子かんば みちこさんの霊前に供えられた香典はわずかに5万円であったということです。

これに対し、日本共産党は「わが党はこういう香典のあつかいはまったくやっていない」、「恥ずべきデマ」と否定しているということです。

はたして保阪正康氏の言う事が、正しいのか日本共産党のいう事が正しいのか?

保阪正康氏は、京都の私大に通っていた時は60年安保に反対する学生運動に参加する左翼系の学生でした。

そしてこのような発言もされています。

私たちは「安保条約について何も知らずにデモをした」などとやゆされます。条文を読まなければ反対してはいけなかったのか。そんなことはない。

この時代の大学生は、条文の内容も知らずにただ反対デモをしていたのです。

60年安保反対デモ
画像:yahoo画像より

 

もし条文を読んでいたら「反対デモ」なんて起こらなかったと思います。

東大に入れるような頭の良い学生ですからね。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

もし条文を読んでいて反対した学生がいたならその人は、本当の馬鹿ソ連の工作員ですね。

吉田茂が、アメリカと交わした最初の条約は、日本にとって不利な条約でした。

  • 基地を作る場合日本に相談しなくて良い。
  • 日本防衛の義務なし。
  • 期限は、無期限。

それを岸信介が、結んだ改定された安全保障条約は、

  • 基地を作る場合日本に相談する必要がある。
  • 日本防衛の義務あり。
  • 期限は、10年。

旧条約より良くなっている事がわかります。

このように改正される安全保障条約に対してあなたは、反対しますか?

当時は、デモをして「反対」の声を上げることが、ファッションだったと田原総一朗が、テレビで実際に語っていました。

当時、東大の安保闘争のリーダーは、西部邁にしべ すすむ氏でした。

田原総一朗は西部氏に「吉田安保と岸安保はどこが違うのか。それぞれを読んだか」と聞くと

西部氏は「読むわけないだろう。岸がやることはろくなものではない。日本を戦争に導くだけだ」と言っていたということです。

この60年安保闘争は、学生達のただの思い込みで「反対デモ」をやっていたんですね。

のちに条文の内容を知った60年安保を反対していた元全学連リーダーが、岸元首相の死に対してあなたは正しかったと弔文を書いたそうです。

樺美智子かんば みちこさんも安保の条文の内容を知らずに ただ反対運動をしていたのでしょうね?

もしそうだとしたら共産主義者同盟の活動家としての樺美智子かんば みちこさんの死は、いったいなんだったんでしょうね?

もし条文を読んで内容を理解していたら東大に入学できる頭の良い女子大生ですから反対デモに参加する事も無かったでしょうし死ぬことも無かったでしょうにね。

最後に樺美智子かんば みちこさんが、まだ高校生であった頃に書かれた遺稿というべきひとつの詩が残されていていますので それを紹介して今日のブログ記事は終わりにします。

 

最後に            樺 美智子

誰かが私を笑っている

こっちでも向うでも

私をあざ笑っている

でもかまわないさ

私は自分の道を行く

笑っている連中もやはり

各々の道を行くだろう

よく云うじゃないか

「最後に笑うものが

最もよく笑うものだ」と

でも私は

いつまでも笑わないだろう

いつまでも笑えないだろう

それでいいのだ

ただ許されるものなら

最後に

人知れず ほほえみたいものだ

復刻 人しれず微笑まん―樺美智子遺稿集

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