父と母が私に話してくれた戦争の話!

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子供の頃あなたは、親から戦争の話を聞いた事がありましたか?
話を聞いたときは、何歳でしたか?
その時どう思いましたか?
私は、子供の頃まだ幼稚園だったので4~5歳くらいの時に父から日本はアメリカと戦争して負けたという話を聞きいて子供ながらに「悔しい」という気持ちになった事を覚えています。
まだ幼稚園の頃ですから戦争の悲惨さなんて全然理解していませんからね。
なぜ父が、私にそんな話をしたのかというと たぶんきっかけは、世界地図を私に見せて日本がどこかを私に教えてくれたときだったと記憶しています。
その時に父は、「昔は日本の領土は広かったが、戦争に負けたために領土を取られてしまい日本の領土が小さくなってしまった」という話をしてくれました。
その話を聞いてまだ幼稚園だった私が想像したことは、日本の土地を削られて外国に持って行かれて日本は小さな島国になってしまったという想像をしていました。(笑)
たぶんその話を聞いてまだ幼稚園生だった私は、「悔しい」と感じたんだと思います。
そして父は、私が何歳頃だったかよく覚えていないのですが、こんな話もしてくれました。
父が、小学生の頃に外で遊んでいたらグラマンに機銃掃射をされた事があるという話していました。
そしてこれは、私が大人になって私のサロンに来られる女性のお年寄りから聞いた話ですが、その方が赤ん坊を抱いて田んぼのあぜ道を歩いているときにグラマンから機銃掃射をされて わが子を守るために赤ん坊を田んぼに投げ飛ばしたという話を聞きました。
子供の頃に父からグラマンに機銃掃射をされたという話を聞いても 私は実感がわかず怖いという気持ちにはなりませんでしたが、大人になって女性のお年寄りから聞いた話は、いろんな感情が沸き上がりました。
母から聞いた戦争の話は、私が大人になってからでした。
なぜそんな話になったかのか?
きっかけは忘れましたが、母の里は、松野町松丸で宇和島が、空襲を受けた時に宇和島が燃えている煙が、松丸からも見えたと話していました。
そして母は、終戦後も お昼を知らせる「ウーーー」と鳴るサイレンを聞くとドキッとして怖かったという事を話してくれました。
実際に同じ戦時中に生きていても 兵隊として戦地へ行った人や内地にいた人またその年代によっても戦争についての思いは、人それぞれ違うんでしょうね。
もし私の父が、徴兵されて戦地に行っていたらまた違った話を私にしていたのかもしれません。
この先、戦争を実際に体験した人もいなくなってきます。
私の様に戦後生まれで戦争を知らない世代が、次の世代に戦争の本当の怖さを伝える事はできません。
昔、近所に住んでいた消防署員が、話されていた事ですが「事故」や「災害」や「戦争」の本当の怖さを知らせるには、テレビでそれらによって亡くなられた人の映像をボカシを掛けずにありのままを視聴者に見せる必要があると話されていました。
そんな事はできないでしょうけどね。
でも本当の怖さを伝えようとするなら それをしないと本当の怖さは、伝わらないでしょうね!
私は、戦争が終わって17年後に生まれましたので 物心がついた頃には、戦争の傷跡も見ることはありませんでしたし 食事でひもじい思いもすることなく育つことができたので良い時代に生まれたと思っています。
なので これから将来も私の子供や孫が、日本で戦争のない時代を生きられる事が出来れば良いなと願っています。
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