前回のブログ(私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その6)の続きになります。
【「松野町商工誌」の内容と戸籍から得られた情報の矛盾】
昨日12月4日は、仕事が休みでしたので松野町役場へ 私の祖父(光男)と祖母(私のばおあちゃん)と曾祖父の戸籍を取りに行きました。
そして役所で松丸の明治大正の郷土史に詳しい方を尋ねると教育委員会のKさんを紹介して頂きまして色々とお聞きいたしました。
その話は、また次の機会とし今回は、祖父(光男)と祖母(私のおばあちゃん)と曾祖父の戸籍から分かった事をご紹介します。
今回、戸籍を取ってやっと吉田家と竹葉家の関係が分かりました。
戸籍を見ると私の曾祖父は、「竹葉類蔵の二男入籍す」と書かれており 吉田家に養子として入ったという事です。
竹葉類蔵というのは、上記で「松野町商工誌」で説明されてる文章内に出てくる「竹葉類造」となります。ただ「類造」の「造」の字が、戸籍では、この「蔵」となっています。
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この「松野町商工誌」での説明文は、あまりにも簡単過ぎて事実がよくわかりません。
「歴史の豪家であったが子供がなくて絶えた。」と書かれていますが、私の曾祖父は、竹葉類蔵の二男と書かれています。
ただ本で説明されている竹葉家から吉田家に娘が嫁いだという事実は、戸籍には書かれていませんでした。
従妹は、従妹の母親やおばあちゃんから聞いたということで トラさんという人が、おばあちゃんの育ての親だと話ていましたのでてっきり トラさんと曾祖父が、結婚されていたのかと思いましたが、戸籍を調べると曾祖父の妻は、クラと書かれていました。
一番古い戸籍の前戸主は、女性で 亡養母 吉田サヨと書かれていました。
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【▲上記の記事からの続き▼】
そして吉田サヨの戸籍の上は、抹消されていて取れる戸籍は、ここまでのようです。
曾祖父の妻(クラ)は、吉田喜平と母亡トモ三女と書かれていましたのでこの二人の子供だとわかりました。
ただ亡養母 吉田サヨと吉田喜平は、どういう関係になるのかがよくわかりません。
今までに分かった事を 系図にまとめるとこんな感じになります。
ちなみに前回の家系図は、こんな感じでした。
こうなるとおばあちゃんの育ての親というトラさんは、どうなるのか?
トラとクラの従妹の聞き間違いなのか?
まぁ 養女とか養子とか多すぎて肝心の「吉田屋」の吉田精三との関係は、戸籍からは手掛かりが得られませんでした。