私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その8

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前回のブログ(私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その7)の続きになります。

【芝不器雄の日記に吉田酒屋の事が書かれている】

母の実家の古い戸籍を松野町役場へ取りに来たので 役場で「明治大正時代の郷土史に詳しい方が、おられましたらご紹介して頂けないでしょうか」と戸籍担当の方にお話しすると 松野町教育委員会のKさんをご紹介して頂きました。

Kさんによると古文書など読み解くと吉田家は、江戸時代の古文書にも大きな名家だったと出ていますというお話をして頂きました。

神社のお祭りなどにも吉田家が、お酒を出資していたとかという事も書かれていて 吉田、竹葉、正木などの名前がよく出てきてましたという事でした。

ということで 吉田家は、江戸時代からの名家だったようです。

そして従姉から聞いた芝不器雄の日記に吉田酒屋の事が書かれているという事を聞きましたので 芝不器雄の本「不器男句文集 芝不器男 [著],塩崎月穂 編」を宇和島市立図書館で借りて読んでみました。

不器男句文集 芝不器男 [著],塩崎月穂 編
不器男句文集 芝不器男 [著],塩崎月穂 編
すると有りました!

確かに「吉田酒屋」の事が「寒い話」の中に書かれています。

不器男句文集の中にかかれているその箇所の内容は、

裏の吉田では、町の吉田酒屋の老夫妻がそこに 隠居所を建てると云ふ話があつたが、大方そのためだらう、ミノルカが三羽ばかり飼ってあつた棚は、すでに取りのけられて居た。中の密柑の青黒い葉は、ほこりでよごれて灰色になつてゐる。そして地面も当り前の色ではない。これも寒い。

この日記は、大正12年(1923年12月4日)に書かれたモノのようです。

文章中にでてくる「ミノルカ」とは、「ニワトリ」の事です。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

この芝不器男の日記から従姉が、話していた事と合致する点が有りました。

従姉の話では、母が住んでいた実家は、隠居所として建てられたという事でしたので芝不器雄の日記でそれが証明されました。

母の実家は、芝不器雄の家から見ると斜め後ろの位置になりますので「裏の吉田では・・・」という書き方になったのだと思います。

そして 芝不器雄の日記から隠居所とは別の場所で酒屋をしていたという事もわかります。

その文章が、「裏の吉田では、町の吉田酒屋の老夫妻が・・・」という書き方をしていますので 町の吉田酒屋とは、現在の正木正光酒造場の場所だと思われます。

実際に 竹葉酒造(現・正木正光酒造場)で私のお祖父さんの吉田光男が、酒造りをすすめていたという事も「松野町商工誌」に書かれていましたので。

芝不器男の日記から当時は、吉田酒屋と言われていたんだという事が分かりました。

そして従姉にトラの事を聞くとトラではなくクラの間違いであることが判明しました。

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その9

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!(バックナンバー)

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