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私が、子供の頃に夜中に地震があり父と一緒に外にでてみて空を見上げると赤い月が出ていたのが、ものすごく印象に残っていました。
ただそれが、私が何歳頃の出来事だったのかが分からないでいました。
すると昨日Facebookのお友達のまあくさんの「仏像構造線(ぶつぞうこうぞうせん)」の記事に まーきみ。さんが、コメントで昔の新聞記事を出されていてその記事のタイトルが、「けさ宇和島地方に激震」とのタイトルがついていました。
記事の内容を読むと最初にこんな書き出しから始めっていました。
「高島沖が震源地・記録やぶりの震度5」とサブタイトルがあり続けて「不気味な赤い月が西の空にかかった6日未明、突如南予一帯をかつてない激震が襲った。」
という書き出しでした。
この記事を読んで子供の頃に経験したあの地震そして空には赤い月の記憶は、この時の地震に間違いない事が確信できました。
その新聞の日付を見ると昭和43年8月6日(火)でした。
【▼記事は、下記に続く】
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【▲上記の記事からの続き▼】
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という事は、私が6歳の時の地震だった事が分かりました。
その頃は、私は愛宕町の借家に住んでいて近くには社会保険病院がありました。
ただ私の記憶違いとしては、その赤い月が鬼ヶ城の上にあったと記憶していましたが、新聞では西の空だとかかれていました。
鬼ヶ城は、東の方になりますので西となると正反対となります。
すると社会保険病院の右手の方に赤い月が出ていた事になります。
とりあえず子供の頃の「地震」と「赤い月」の記憶の答え合わせをすることはできました。