私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その24

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前回のブログ(私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その23)の続きになります。

【地籍調査により新たなる手掛かりが!】

今までに集めてきた「吉田サヨ」「吉田クラ」「吉田喜平」「吉田精三」「竹葉市之進・類蔵」の原戸籍に掲載されていました昔の住所は、現在のどこの場所になるのかを調べてみました。

古い戸籍には、「番屋敷」や「番戸」といった表記で当時の本籍地を表しています。

昔の住所は、土地では無く家屋に番号が割り振られていましたので「番屋敷」や「番戸」となっていました。

それに対し現在は、土地に番号が割り振られていますので「番地」となります。

同じ戸籍をすべて持っていれば明治19年式戸籍の本籍の欄に「7番戸」と書かれていた場合それが、大正4年式戸籍の本籍欄には、「63番地」となっていれば「7番戸」と「63番地」が、同じ場所を指していることがわかります。

そこで私は、「番戸と番地の対照表」というモノは、無いのかを法務局に問い合わせてみました。

すると法務局には無いようで市役所で聞いて下さいという事でした。

そこで松野町役場の町民課へ電話をして原戸籍に書かれている旧住所を調べているのだがと事情を説明して「番戸と番地の対照表」があるのかを聞いてみました。

番戸と番地の対照表は無いが、昔の旧番地から現在の番地を調べる事は出来るという事でした。

そこで5つほど調べたい住所が、あるのでその住所をメールに書いて松野町役場の電話対応して頂いた方にメールで送る事にしました。

メールで送ったあとで旧住所が「明治村あけはるむら」には、対応していないのでわからないという事でしたので物は試しと思い「明治村あけはるむら」を「松丸」に変えて同番地を調べて貰う事にしました。

するとメールで送った旧番地から現在の番地を割り出す事ができました。

しかし担当の方が、「明治村あけはるむら」での旧番地が、現在の番地に対応しているかはわかりません。という事でした。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

それについては、こちらも了解して18日の月曜日に松野町役場に土地に関する証明書を取りに行きました。

そこで この証明書に書かれてる調査後の番地が、現在の松丸のどの場所になるかの地図があれば欲しいのですがというと有りますという事で その地図を作って貰う事にしました。

その時にその調べた番地の場所に色を付ける事も出来るという事でしたのでそれもお願いしました。

色を付けてもらうととても分かり易いですね。

そして担当の方に地図の説明をして頂き色の付いてる場所を見ると驚きの事が分かりました。

松丸地図
地籍調査後の松丸の地図

松野町立松野西小学校の広い土地が入っていました。

そしてあとの残りも吉田と竹葉の関連のある土地でしたので地籍調査後の番地は、正しいと思われます。

これで次は、その地籍調査後の番地の閉鎖登記簿を調べ吉田や竹葉の名前が見つかれば住んでいた場所の証明となります。

ただ明治32年より前の情報は、破棄されていますのでその中に吉田名義の名前が残っているかですね。

 

 

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