3月3日の日曜日に街歩きの動画撮影にでかけました。
今回は、江戸時代宇和島藩が、罪人を牛の背に後ろ向きに座らせて市中引き廻しをして畑枝の刑場へと送っていたという事で 今回は、その宇和島藩の市中引き廻しコースを歩いて撮影してみました。
まずそのコースは、どこで知ったかなのですが、昭和2年2月25日に発行されている「宇和島大観」という本の「畑枝の刑場」の中で宇和島藩が行っていた市中引き廻しの道順が紹介されていました。
この本は、国立国会図書館デジタルコレクションで見る事ができます。
江戸時代には、宇和島の立正寺前に罪人を入れる獄屋があったという事なので立正寺をスタート地点としました。
そしてゴールが、丸穂の畑枝の刑場です。
その間、本に書かれている町名の順番を辿って撮影しながら歩きました。
かなりの距離がありました。
その宇和島市内を廻る道順ですが、北町の立正寺前の獄屋から引き出された死刑囚は、「六兵衛坂」を通り「本町」、「横新町」、「竪新町」、「亀屋横丁」を抜けて再び「本町」に出で「愛宕町」、「笹町」、「神田川原」、「佐伯町」、「櫻町」、
「蛤はまぐり横丁」(焼き肉の「はちのす」の通り)、「鎌原通り」、「樽屋町」を「裡町」に出で「浄念寺(浄満寺)」
「上手横丁」を抜けて丸穂の「畑枝の刑場」に送られていたということです。
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【▲上記の記事からの続き▼】
まーきみ。さんのブログでは、地図に順路を赤線で描かれていましたのでそれも参考にさせて頂きました。
撮影しながら回っていると宇和島の旧町名碑が、市中引き廻しコースのいたるところに建てられていました。
以前から旧町名碑巡りの動画も撮りたいなと思っていましたので 今回は、市中引き廻しコースの近くに有る宇和島の旧町名碑の撮影も行いまいました。
但し時間が無いので碑の細かいところまでは、撮影できませんでしたので旧町名碑の正面からのみの撮影としました。
なので市中引き廻しコースを回りながらすべてではありませんが、どこにどんな旧町名碑があるのかもわかる動画となりました。