昨日のブログ記事「宇和島の丸の内のフジを想う」について Facebookからいろんなコメントを頂きました。
そのコメントで 丸の内のフジの屋上で仮面ライダーショーがあったという情報です。
宇和島にも仮面ライダーが来てたんですね。
そしてゴンドラ(観覧車)に乗った時に一番上でゴンドラが止まってしまい動かなくなったというエピソードがあったそうです。
これは、ゴンドラの係り員がゴンドラに乗っていたお客さんが全部下りたものと勘違されたようだったそうです。
一階のチケット売り場の裏にエレベーターがあって、それで屋上に行ったという想い出を持って居る人がおられました。
エレベーターを下りて対角側に映画館だったので遊園地を横切る感じだったようなという証言もありました。
3階のおもちゃのカワモトにサンリオショップがあったそうです。
屋上の遊園地の回転する飛行機の下は、コーヒーカップだったという証言もありました。
あと屋上から銀天街のアーケードに上がれたという証言もありました。
フジの丸之内店のエスカレーターは、上りしか無かったとか。
これは、私も上りしあか無かったような記憶がありました。
Facebookの友達よりこれらの証言を頂きました。
「丸の内のフジ」の謎なんですが、なぜ「丸百」という言い方をしていたのかという事でした。
これは、フジの前は、「丸之内百貨店」だったという事です。
「丸之内百貨店」が、できる前は、「丸の内劇場(丸劇)」という映画館があったということです。
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【▲上記の記事からの続き▼】
写真提供:まーきみ。さん(正面建物が、丸の内劇場(丸劇)、昭和25年の昭和天皇行幸)
その頃は、フジがあった場所の目の前まで海だったという事です。
「丸の内劇場(丸劇)」が、解体後1967年(昭和42年)4月、丸之内百貨店がオープンしたという事です。
という事は、フジ1号店と同じ年にできフジより早くオープンしたことになりますね。
という事で最初は、フジでは無かったという事です。
では、なぜ「丸之内百貨店」から「フジ丸の内店」になったのでしょうか?
「丸之内百貨店」では、ある事件が起きました。
それは、昭和44年1月26日夜から27日朝にかけて泥棒に入られて売り上げ360万円を盗まれたという事です。
どうもこれが元で「丸之内百貨店」は辞めて「フジ丸の内店」になったという事です。
その後の情報で「丸之内百貨店」は、伊予銀行に差し押さえられており伊予銀行から「フジ」へ「丸之内百貨店」のあとをやらないかという打診がありそれを「フジ」が、引き受けて「フジ丸の内店」が誕生したという事です。
そしてフジ丸之内店の3階にあった大食堂は、「うわじまの料理や有明」のご主人が、調理長をされていたそうです。
この話は、昔フジ恵美須町店で働いていた人からお聞きしました。
「宇和島のフジ丸の内店は、丸之内百貨店だった!」への1件のフィードバック