しんばしセンターの歴史を見ると
しんばしの創業者は、谷本久雄 氏が、大正13年に吉田町北小路で雑貨店を創業したのが始まりという事です。
昭和23年4月に 宇和島市新町に大見屋人形展を開店して その年の6月に株式会社大見屋として法人登記をしています。
昭和34年7月に 宇和島市新町に「しんばしセンター」を開店しています。
まだこの時代には、私は生まれて居りません(^^;)
やはりフジ1号店や丸之内百貨店よりも「しんばしセンター」の方が、早く出来ていたようですね。
昭和38年8月には、吉田町東小路に「吉田大見屋」を開店しています。
昭和40年12月に 宇和島市新町に本店別館しんばし5階ビルを開店しています。
という事は、銀天街のアーケード通りの「しんばしセンター」が、昭和40年12月にオープンしたということなんですね。
という事は、アーケード街裏にある「しんばしセンター」が、本館になるんですか。
昭和42年10月本店別館(食料館)を開店しています。
昭和50年10月本店別館増床(食料館)
と このような歴史をたどっています。
銀天街のアーケード街にある「しんばしセンター」で 私が一番印象に残っているのが、「しんばしセンター」入口左側にあった噴水ジュースです。
噴水ジュースの印象は、強いのですが噴水ジュースを飲んだという記憶が無いんですよね(^^;)
私の記憶では、入口から入るとすぐ左に普通の階段が、あり中央にエスカレーターがありその奥にエレベータそしてその奥隣にまた普通の階段があり裏口からも入れるようになっていたと記憶しています。
これは、Facebookの友達からの情報ですが、しんばしセンターのエレベーターには、エレベーターガールが、いたそです。
そしてエスカレーターは、1階から2階にかけて幅の広いエスカレーターがあります。
2人が一緒に並んで上がれるエスカレーターです。
エスカレーターの下の床に近い所に 黄緑とオレンジ色の丸いボタンが、2つ付いていた記憶があります。
たぶんスタートと停止のボタンだと思います。
しんばしセンターのエスカレーターの配置は、ちょっと変則で 2階から3階にかけては、エレベーターが無くて 普通の階段で上がる様になっていて 3階から4階にかけてエスカレーターがありました。
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このエスカレーターは、1階のエスカレーターより 幅が狭いタイプのエスカレーターです。
あとしんばしセンターに食堂ってあったかなぁと思っていると Facebookの友達からの情報で 4階にあったような気がしますという情報がありました。
おもちゃ売り場は、3階だったようです。
私は、しんばしセンターについては、何階に何売り場があったかの記憶があまり定かではありません。
5階にゲームセンターが、有ったと思います。
インディアンのコルク鉄砲が、有ったことは記憶にあります。
そして屋上にお金を入れると覗ける双眼鏡があった記憶があります。
そこから自分の住んでる家を見た覚えもあります。
そして私が、中学2年生の時にしんばしセンターで 漫画のコンテスト大会がありました。
一般から漫画のイラストを募集して漫画の展示会をしてました。
その時に私も友達と一緒に応募しました。
そして銀賞を頂きました。
もうボロボロになっています。
その時私が、描いたイラストは、手塚治虫の「三つ目が通る」でした。
あとUFOや超能力関係の展示会もやっていましたね。
喋るサボテンが、有ったのを覚えています。
サボテンに電極を繋いでスピーカーから 何かノイズが出ていた様な気がします。
しんばしセンターのエレベーターに エレベーターガールが、居たなんて しんばしセンターって進んでいましたね。
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