六曜

ドリフターズにとって志村けんとは?!

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志村けんさんが、3月29日、東京都内の病院で亡くなりました。と30日の朝のテレビのニュース速報で知りました。

コロナウイルスに感染して都内の病院に入院していたことはニュースで知っていましたが、まさか亡くなるとは想像もしていませんでした。

その内退院してまたテレビに復帰するんだろうなと軽く思っていましたので死亡のニュースを知って大変驚きました。

志村けんといったら1968年2月の高校卒業間際にいかりや長介の家へ直接押しかけ、弟子入りしたという話は有名だと思います。

志村けんは1974年、ザ・ドリフターズの荒井注の脱退を機にザ・ドリフターズの新メンバーとして加わりました。

TBS系「8時だョ!全員集合」のドリフターズといえば、いかりや長介、加藤茶、仲本工事、高木ブー、荒井注のメンバーで見慣れていましたので 私の中では、荒井注さんが、脱退して志村けんさが、新たに加わったときには最初は、なんか違和感がありました。

ですが、何回か見てる内に馴染んできて違和感は、自然に感じなくなっていました。

そして「8時だョ!全員集合」では、加藤茶と並んで志村けんも注目を集めるようになり「少年少女合唱隊」のコーナーで地元の「東村山音頭」を歌ったことがブレークの切っ掛けとなりました。

あとから知ったんですけど志村けんは、東京都東村山市の出身だったんですね。

そしてドリフターズのリーダーのいかりや長介に よく田舎もんと言われてその反発から「東村山音頭」を歌っていたとか。

1976年7月に、「東村山市の知名度を高めた」功績が認められ、当時の東村山市長の熊木令治から感謝状が贈られています。

その後、加藤茶とのコンビの「ヒゲダンス」も大流行しましたね。

煉瓦の壁をバックに志村けんと加藤茶のコンビで黒タキシードと付けヒゲを着用し、踊りながら様々な芸を披露するダンスです。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

あの付けヒゲは、振付師兼ギャグアドバイザーだった藤村俊二のトランクから拝借したものだったそうです。

そしてあのダンスに使われたエレキベースによる印象的なBGMは、ヒゲダンスを想像すると今でも頭の中であのBGMが鳴ります。

ヒゲダンスのBGMは、ソウルの「Do Me」をたかしまあきひこがアレンジしたものでソウル通の志村がテディ・ペンダーグラスの「Do Me」のレコードを たかしまあきひこのところへ持って来て「これと似たようなBGMできないかな」と頼まれたという事です。

志村けんさんは、ソウル・ミュージック、ファンク、ジャズなど、あらゆる分野の音楽に興味を示し、自宅には膨大な数のレコードやCDのコレクションがあるそうです。

ドリフターズのメンバーは、皆さん楽器をされますが、志村けんは、ギターが担当でした。

その後「カラスの勝手でしょ」、「志村、後ろ!」が大流行し、さらに、「バカ殿様」は86年からフジテレビ系で特番化され現在まで続く名物番組となっていました。

「バカ殿様」は、歌舞伎「一条大蔵譚」のパロディで フジテレビでのシリーズが有名ですが、1980年前後に「全員集合」で披露したコントが原型と言われています。

志村けんのブレイクはメンバー間の人間関係にも微妙な変化をもたらしてしまい いかりやとの間に笑いのギャップが生まれるようになり今まで、言われたとおりにやってきた志村けんが親に反抗するように、いかりやの意見に背くようになっていったということです。

いかりや長介と志村けんは一時期(1989年から1990年代初め頃)不仲でしたが、ドリフターズのリーダーだったいかりや自身の著書「だめだこりゃ」の中に「志村をリーダーに第2のドリフを作って欲しいと思っている」とする旨の記述が書かれていたという事です。

 

志村けんさんのご冥福をお祈りします。

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