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佐賀県杵島郡白石町出身で 太平洋戦争の終戦後の食糧難の時代に、闇市の闇米を拒否して食糧管理法に沿った配給食糧のみを食べ続け、栄養失調で餓死した裁判官がいました。
山口 良忠裁判官34歳です。
1913年(大正2年)11月16日 – 1947年(昭和22年)10月11日)
当時彼は、闇市で食料を売ったり買ったりしている庶民を「食糧管理法」違反で裁く立場にありました。
法律を守る立場から、法律違反のヤミの食料に手を出すわけにはいかないと考えたのでした。
当時の日本人は配給だけでは生きてゆけず、ヤミの食料に手を出さなければ死んでいたのです。
山口判事は、「たとえ悪法でも、法律である以上、裁判官の自分は守らなければならない」という意味のメモを残していたという事です。
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他の裁判官は、どうだったのでしょうかね?
闇米を食べていた裁判官もいたでしょうね。
命か法か。という葛藤はあったかもしれませんが。
こういう時代は、マジメだけでは生きられられませんね!要領の良い人間が賢く生きられるのかもしれませんね!