六曜

昭和天皇は、日本の再軍備を望まれていた!

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昭和天皇は、敗戦後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のダグラス・マッカーサー元帥に対し、「日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります。

しかしながら、罪なき8000万の国民が、住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように」と仰せになってマッカーサーを感動させた昭和天皇のお言葉としてマッカーサ回想録(昭和39年出版)にも明記されていている有名な昭和天皇の発言です。

一方日本側で戦後、昭和天皇の発言として初代の宮内庁長官を務めた故田島道治が昭和天皇とのやりとりを記した「拝謁はいえつ記」が見つかり2019年8月19日に公開されています。

それによると日本が国際社会に復帰した1952年の記述からは、東西冷戦が激しくなる中で昭和天皇は、日本の再軍備やそれに伴う憲法改正の必要性を強く感じていたことが「拝謁はいえつ記」より分かるというものです。

昭和天皇は、ちゃんと現実を見ておられたんですね。

昭和天皇は、吉田茂首相に意見を伝えようとしたところ田島宮内庁長官に何度もいさめられたということです。

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新憲法下では、天皇は象徴であって政治には一切口出しできなくなりましたからね!

そのため吉田茂首相には、ご自身の思いを伝えられなかったのですね。

昭和天皇が、日本の再軍備やそれに伴う憲法改正の必要性を強く感じていたのはソ連(現在のロシア)の存在でした。

昭和天皇のお言葉として「歴史の証明するところではソ連といふ国は何をするかわからない。中立不可侵条約があつたにもかかはらず日本が仲裁を頼んであつたにもかかはらず宣戦して来るといふ国だ」(四月九日)

昭和天皇が再軍備を志向した背景には、当時のソ連の侵略を現実の脅威と捉えての危機感があったからです。
1949年に中国では共産党政権が成立して50年に始まった朝鮮戦争を契機に自衛隊の前身の警察予備隊ができました。
そして中国や北朝鮮の後ろ盾にソ連がいました。
サンフランシスコ講和条約発効を52年4月28日に控え、国内では独立後の安全保障の在り方を巡り国論が割れていました。
全国各地で反米軍基地闘争が起きる中、昭和天皇は1953年の拝謁で、基地の存在が国全体のためにいいとなれば一部の犠牲はやむを得ないとの認識を示していたという事です。
同年6月1日の拝謁では「平和をいふなら一葦帯水いちいたいすいの千島や樺太から侵略の脅威となるものを先(ま)づ去つて貰ふ運動からして貰ひたい 現実を忘れた理想論は困る」と述べられています。旧ソ連など共産主義への警戒感を強め、米軍基地反対運動に批判的な見解を示していたという事です。
こうした状況下で昭和天皇は、田島に明確な意思を示していました。
 昭和天皇のお言葉:「私は憲法改正に便乗して外のいろいろの事が出ると思つて否定的に考へてたが今となつては他の改正は一切ふれずに軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつた方がいい様に思ふ」(2月11日)
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