今、駅前の商店街が、畑枝川の上に建てられているという事で これから起きるかもしれない南海地震のような大きな地震が起きると危険だという事で 川の上に建つ駅前商店街の商店は、取り壊されて駅前の被覆されていた川が、表に現れてきました。
これから何期にも分けて この工事が、繰り返し行われ最終的には、栄町港の市役所前まで行われるんだと思います。
このことで 駅前から栄町港までの畑枝川が被覆された時期っていつ頃なんだろうかという興味を持ち調べてみました。
栄町港の畑枝川上横デパートと呼ばれた3階建ての建物が完成したのが、昭和40年の新聞に載っていましたので その前の年昭和39年までに畑枝川が、被覆されたんだと思います。
そうなると駅前は、いつ頃被覆されたのかを調べるのに タナベ昭和館で紹介されている古い昭和の駅前の写真を調べてみました。
すると昭和34年の駅前の商店の写真に「蛇の目ミシン」の看板を見つけました。
蛇の目ミシンは、駅前にあった久保田書店横の岩崎楽器店が営業する前まで営業していました会社なのでそれを目当てにその並びの店の看板を確認しました。
すると写真の右側の看板に「入船」という文字が見えます。
その文字を手掛かりに 昭和46年に地図で調べると「入船靴店」がありました。
地図で確認すると駅前かどやの2軒隣でした。
「入船靴店」の向かって左隣は、「佐々木印章店」です。
写真で確認すると佐々木という文字が見えます。
その「佐々木印章店」の隣は、写真では、名前が確認できませんので 地図で確認すると地図の字もちょっとわかりません。
活字でなく手書きなので。
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【▲上記の記事からの続き▼】
その隣が、「丸田時計店」で写真と地図で確認できました。
その隣が、写真では、富士フィルムと書かれています。
地図では、「小富士商会」となっていまして「写真店」である事が確認できましたので ここに映っています写真は、今回取り壊されるかどや本店の並びに商店である事が、確認できました。
この写真「移り変わる町並み 宇和島駅と駅前通界隈5」には、
30 雪に大はしゃぎの子どもたち【錦町 昭和34年(1959)年頃】
と紹介されていますので 昭和34年には、今の場所、川の上に建物が建てられていた事がわかります。
なので昭和34年よりも前に 被覆工事がされていたことになります。
この事から駅前から畑枝川の被覆工事が、始まり栄町港へと工事が進んで行ったようです。
そこで市役所に 確認してみようと「駅前から栄町港までの畑枝川が被覆された時期」について問い合わせたら市役所も この問い合わせは、なかなか調べるのが難しかったのか3日目に回答を頂きました。
それによると昭和31年から昭和42年にかけてという回答を頂きました。
なので駅前から始まり栄町港へと被覆していったのだと思います。