六曜

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その2

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私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!からの続きになります。

【私の母の実家は松丸随一の豪商だったのか?】

愛媛県生涯学習センターのサイトからの情報で松丸随一の豪商として「吉田屋」があったという事がわかりました。

私が子供の頃、父から母の里は、大金持ちで松丸から見える山々は、昔は全部母の実家の山だったという話を聞かされていました。

私は、子供ながらに冷静でその話を「また大きな事を言って」という感じで話半分に聞いていました。

しかし16日に従妹からも同じ話を聞かされて事実かどうかを確かめたくなりました。

私の母の旧姓は、「吉田」ですが、果たして松丸随一の豪商「吉田屋」と母の実家は、「=」イコールなのかそれとも「≠」ノットイコールなのかを 知りたいという気持ちが、段々と強くなってきました。

疑問点としては、母の実家は、昔造り酒屋をしていると聞いていましたが、松丸随一の豪商「吉田屋」は、紙や蝋を大阪と直接取引し、巨万の富を築いた。

とう事ですので父や母から聞いた話とかみ合いません。

この「吉田屋」は、手広く商売をしていたという事ですから造り酒屋もやっていたのかを確かめたいのですが、明治、大正の頃の話なので確かめるすべがありません。

そこで松丸にあったという造り酒屋について調べてみる事にしました。

愛媛県生涯学習センターのサイトで紹介されてる情報では、松丸で 特に豪商として知られていたのは、吉田屋・岡田本家(松太郎)・岡田分家(忠一郎)・竹葉屋(市次郎)・正木などであった。

と紹介されていますが、造り酒屋として紹介されているのは、「正木」1軒だけで  正木は銘酒「伊豫美人」の生産でそれぞれ財をなした豪商である。

と紹介されています。

その後も調べていると「松野の歴史」というサイトを見つけました。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

ここには、竹葉酒造場(明治初年)という記事を発見しました。

松野の歴史

松野の歴史

この中の記事には、私のおじいさんの名前が、登場していました。

この竹葉は現竹葉伝家の昔の分家であり、竹葉類造は明治26年から27年にかけて明治村長をした。歴史の豪家であったが子供がなくて絶えた。嫁は吉田家に嫁ぎ、しばらく吉田光男が酒造をすすめた。

吉田光男というのが、私の母親の父で 私のおじいさんになります。

竹葉酒造というのは、松丸で特に豪商言われていた竹葉屋(市次郎)の事なのか?

竹葉は享保年間(1716~1736)創業といわれる老舗の醤油醸造と愛媛県生涯学習センターのサイトで紹介されていました。

その後、造り酒屋になったのでしょうかね?

とりあえず今回は、竹葉酒造と私のおじいさんは、関係が有る事がわかりました。

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その3に続く

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!(バックナンバー)

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