前回のブログ(私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その5)の続きになります。
【吉田家と竹葉家(分家)は、どういう関係なのか?】
新たに分かった事が有ります。
それは、下記で紹介されていた吉田家に嫁いだ娘の事です。
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吉田に嫁いだ娘というのは、「トラ」さんという方だそうです。
これは、従妹から聞いてわかりました。
従妹は、従妹の母やお祖母さんから話を聞いていたという事です。
そしてこのトラさんという人が、私のお祖母さんの 育ての親になるんだそうです。
私のお祖母さんは、まだ乳飲み子の時に吉田家に養女に貰われてきたんだそうです。
そしてその頃は、竹葉類造酒造場・現在の正木正光酒造場 の家で育ったという事です。
という事は、吉田家に嫁いできたトラさんは、私の曾祖父のお嫁さんだという事になりますね。
そして私のお祖父さんの吉田光男は、婿養子という事でしたが、私の曾祖父も婿養子に入ってるという事でした。
そして私の従妹のお父さんも 婿養子で吉田家は、3代続けて婿養子を取ってると従妹が話していました。
昔は、家を守るために婿養子を迎えて家督を維持していたようですね。
そして従妹は、吉田家と竹葉(分家)とは、兄弟関係であるよな話もしていましたが、そこのところは、従妹も詳しくは分からない様です。
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【▲上記の記事からの続き▼】
とりあえず今までの情報を整理するのに家系図を作ってみました。
吉田家と竹葉(分家)が、兄弟関係だとしても 曽祖父は、婿養子なので結婚するについては、別に問題はないですね。
そして曾祖父とトラさんの間に 子供が出来ないという事でおばあちゃんを 養女に貰ったという事になるんでしょうね。
そしておばあちゃんが成人して 光男お祖父さんを婿養子にもらったという事ですね。
吉田屋の事よりまずは、吉田家と竹葉家(分家)は、どういう関係だったのかを ハッキリさせたいですね。
私の疑問は、明治の時代は、現在の正木正光酒造場の場所は、竹葉類造酒造場となっています。
しかし従妹の話では、そこが吉田の自宅で私のお祖母ちゃんは、育ったという事です。
江戸時代に吉田家が建てた家なのに なぜ明治時代には、竹葉類造酒造場となっているのか?
色々と謎が多いようです。