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前回のブログ(私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その13)の続きになります。
【閉鎖登記簿に載っていた吉田名義が判明】
12月18日に松野町役場に原戸籍を取りに行った事で色々とわかってきた事がありました。
この時に取った原戸籍は、私の曾祖父の奥さんの「クラさん」と「その両親」の原戸籍と 曽祖父の父の「竹葉類蔵」の原戸籍を取りました。
その13では、「竹葉類蔵」の原戸籍の情報を紹介しましたので 今回は、「クラさん」と「その両親」の原戸籍からの情報を家系図に加えました。
今回は、その13で言っていたように吉田Rさんについてお話しします。
この吉田Rさんは、明治時代に竹葉酒造だった場所(現在の正木正光酒造場)となっている場所の閉鎖登記簿を取って所有者欄を確認したときに一番最初に登場した人物でした。
苗字が、吉田だったので「お~!」と思いましたが、その人物の名前は、私が今まで集めていた原戸籍にはまったく登場していませんでしたので母の実家の吉田との関わりが、まったくわかりませんでしたが、今回新たに集めた原戸籍の中に この人物「吉田Rさん」のお名前が出てきました事で 母の実家との関わりが判明しました。
この「吉田Rさん」は、私の曾祖父の奥さん「クラさん」の兄であることが分かりました。
そしてクラさんのお姉さんが、なんと竹葉類蔵の長男に嫁いでいる事もわかりました。
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このことで家系図が、かなり複雑化されてきました。
この家系図を見ていると吉田喜平と吉田サヨと竹葉類蔵の家系が、絡み合ってる感じです。
次回は、やっと松丸随一の豪商で知られる吉田屋が判明します。
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