前回のブログ(私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その20)の続きになります。
【「杉本家文書」より「吉田竹
松野町教育委員会のKさんより吉田家についての新しい情報を頂きました。
町誌の酒造の項には、「杉本家文書」の慶応二年の庄屋の外御目見書に、「松丸吉田竹
とあり、慶応二年(1866)にも吉田が造酒屋だったことがわか
という情報を頂きました。
また「芝家文書」の中に文久元年(1861)8月に書かれた
吉田喜兵衛は近代、松丸随一の豪商として知られていた吉田屋の前
と「芝家文書」の中にこのような事が書かれている事も教えて頂きました。
そして「吉田喜兵衛」と「吉田竹
という事は、吉田喜兵衛が、吉田屋の前
そうなると今回新しく登場してきた「吉田竹
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【▲上記の記事からの続き▼】
Kさんも「杉本家文書」より 「吉田竹
ただ母の実家が、最初現在の正木正光酒造場であったのかを閉鎖登記簿で調べた結果明治32年以前のモノは破棄されていて確認できませんでしたので確証がつかめませんでした。
現在の正木正光酒造場の前は、竹葉酒造であったことは、明治時代の地図で確認できましたので そうなると竹葉酒造の前に吉田が、酒造りをしていたのか?という疑問が残ります。
「吉田竹
私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その22