スバル座(融通座)

スバル座(融通座)の歴史

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スバル座の歴史は、明治16年に融通会所として建てられその後 民間に払い下げられ大正4年に大改装をして 当時ではスケールの大きな芝居小屋として発足したんだそうです。

Facebookのお友達からの情報では、内子の「内子座」のように舞台につながる花道があり、みんな座布団を使って座って観ていたんだそうです。

スバル座(融通座)

その後、昭和31(1956)年に 洋画専門の劇場を宇和島につくろうと、戦災に遭わなかった融通座の建物を再活用して映画館「スバル座」が誕生したんだそうです。

しかし時代の流れとともに、わずか9年ほどで幕をおろしたとういことですので昭和40年までは、この写真の建物は存在していたようです。

だとすると私が、3歳頃まではこの写真の建物は残っていたという事になります。

しかしその記憶が残っていません。

ただ この建物の一部分の記憶が残っていました。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

それは、この写真には写っていませんが、左側の建物に三角の屋根のようなものが、突き出していてその下に玄関のようなものがあったことを記憶しています。

映画館「スバル座」での最後の上映作品は『007/ゴールドフィンガー』だったようです。

その後明治調の建築様式をたたえた建物は、取り壊されてボーリングセンターとなりました。

ボーリングセンターの後ポルノ専門の映画館「ロマン座」と「スバル座」の二館となり その後「シネマサンシャイン」となりましたが、シネマサンシャインも2005年に閉館してその後マンションとなりました。(本町追手1丁目3-82)

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