昭和50年代の宇和島の人気観光スポットは何処だと思いますか?
宇和島城、天赦園、伊達博物館、多賀神社、観光闘牛
昭和50年代で一番多かった観光スポットは、多賀神社で昭和53年、54年の年に10万人の観光客が訪れていました。
その他の宇和島の観光地は、どこも10万人を切っています。
昭和50年代で伊達博物館に訪れた人数は、昭和52年が一番多くて6万7千人でした。
ここで少し面白い事が分かったのですが、昭和52年にNHKの大河ドラマで「花神」が、放送されている年でした。
「花神」は、宇和島も舞台になっている作品です。
この作品は、司馬遼太郎の歴史小説で戊辰戦争で天才的な軍才を振るい、近代日本兵制を創始した兵部大輔・大村益次郎の生涯を描いた作品で『朝日新聞』夕刊紙上で、1969年(昭和44年)10月から1971年(昭和46年)11月まで連載され昭和52年にNHKの大河ドラマで「花神」が放送されました。
蔵六ことのちの大村益次郎が伊予国宇和島藩に招かれ軍学書の翻訳を任されることとなり蒸気船の建造や砲台の建設にも携わるという宇和島が舞台になっている作品でもあります。
NHKの大河ドラマで「花神」が放送された年に伊達博物館に訪れた来場客が多かったという事は、テレビの影響はスゴイですね。
またNHKの大河ドラマで新しい「花神」を制作して放送してもらいたいものです。
坂の上の雲ミュージアムや村上海賊ミュージアムが、8万人や6万人の入場者を集められるのも、小説や映画やドラマの影響です。
「坂の上の雲」は、今月またテレビで放送されるようですね。
この様に宇和島の伊達博物館も宇和島の幕末の偉人を小説とかテレビドラマを利用して上手く宣伝すれば伊達博物館への入場者も集められるのではと思うのですがね。
今度できる伊達博物館の維持費は、どのくらい必要なんでしょうね?
伊達家に入館料の半分も渡していたとは知りませんでした。
交渉して減らして貰う事は出来ないんでしょうかね?
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あとは、伊達博物館の移転場所ですよね。
天赦公園だと一番津波が心配ですね。
最後になりましたが、多賀神社に観光客が多く来られたとうのもテレビのおかけですね。
多賀神社の資料館へ行くと、館内の展示場に入ってすぐ右の場所に色んなテレビへの出演や取材を受けた時の写真などが展示されています。
先代の久保凸凹丸くぼ あいまる宮司 は、昔、放送されていた「東芝ファミリーホール特ダネ登場!?」というクイズ番組形式で「ユニークな人物」や「珍しい苗字や名前」を当てる番組が、ありましたがその番組にも出演されてたようです。
この番組は、子供の頃私もよく見てました(^^)
写真の上には、そのテレビの関係者の名刺とか番組のプログラムも展示されていました。
出演された年月日は、書かれていたのかわかりませんが見る限り見当たりませんでした。
凸凹丸あいまるなんて名前珍しいですよね。
桂小金治のアフタヌーンショー昭和47年9月18日にも出演されたようです。
小金治の「怒りのコーナー」というのがあったようですが、まさかこのコーナーに出演したのかな?
そして小金治さんに怒れていたりして(^^;)a
田宮二郎タイムショック(昭和51年9月11日)にも出演されてるんですね。
イレブンPMは、昭和62年1月12日収録した番組という事です。
なんでも業界を盛り上げるには、スーパースターが必要です。
相撲でも野球でもスーパースターが居てこそ盛り上がります。
宇和島の伊達博物館を盛り上がるのも宇和島の歴史的偉人のスーパースターを作らなくては盛り上がりませんね。
スーパースターが、できればそれにファンやマニアが、できますから段々と興味をもってもらう人が集まって行くような努力をしないとね。