プロになれなかった人は、本当に「実力がなかった」のか――「運も実力のうち」を考える

プロになれなかった人は、本当に「実力がなかった」のか――「運も実力のうち」を考える

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プロ野球選手やプロサッカー選手を目指しながら、実力がありながらプロになれなかった人たち。「運も実力のうち」という言葉を手掛かりに、実力・努力・才能・環境・タイミング・運について考えます。

プロになれなかった人は、本当に「実力がなかった」のか――「運も実力のうち」を考える

プロになれなかった人は、本当に「実力がなかった」のか――「運も実力のうち」を考える

プロ野球選手やプロサッカー選手を目指して、子どもの頃から努力してきた人は、きっと数え切れないほどいる。

毎日のように練習し、食事や体調管理にも気を配り、休日もボールを追いかける。

高校、大学、社会人と競技を続け、周囲から「プロに行けるかもしれない」と期待されるほどの実力を身につけた人もいるだろう。

それでも、実際にプロになれるのは、その中のほんの一握りだ。

そこで、ふと考える。

プロになれなかった人たちは、本当に「実力がなかった」のだろうか。

もちろん、プロになった選手の中には、圧倒的な才能と努力を持った人がいる。

しかし一方で、プロになるだけの実力がありながら、プロへの道を掴めなかった選手も、きっとたくさんいる。

そう考えると、「運も実力のうち」という言葉が、少し違った意味に見えてくる。

プロになれるのは「実力のある人」だけではない

スポーツの世界では、どうしても結果が分かりやすい。

プロになった。

ドラフトで指名された。

契約を勝ち取った。

代表に選ばれた。

こうした結果が出れば、「この人には実力があった」と誰もが認める。

反対に、プロになれなかった人を見ると、

「そこまでの実力がなかったのだろう」

と考えてしまいがちだ。

しかし、本当にそれだけで説明できるのだろうか。

例えば、二人の選手がいたとする。

技術も身体能力もほぼ互角。

練習量も同じくらい。

競技に対する姿勢も素晴らしい。

ところが、一人は大きな大会で活躍し、スカウトの目に留まってプロ入りする。

もう一人は、プロ入りをかけた大切な時期にケガをしてしまい、その機会を逃す。

二人の人生を分けたものは、果たして「実力」だけだったのだろうか。

そう考えると、スポーツの世界には、本人の努力だけではどうにもならない要素が数多く存在していることに気づく。

「運」とは、単なる偶然ではない

では、「運」とは何なのだろう。

単純に「たまたまラッキーだった」という話だけではないと思う。

スポーツ選手にとっての「運」には、さまざまなものが含まれている。

たとえば、どの時代に生まれたか。

同じポジションに優れた選手が何人もいる年と、そのポジションの選手が不足している年では、評価される可能性が変わってくる。

プロ野球のドラフトなどを考えても、その年の球団事情や補強ポイントによって、選手の評価や指名の可能性は変わる。

サッカーでも同じだ。

どのクラブがどのポジションの選手を探しているのか。

どの監督がどんな選手を好むのか。

どんなチーム事情なのか。

こうしたことは、選手本人にはコントロールできない。

そして、どんな指導者に出会うかという問題もある。

自分の才能を見抜いてくれる監督に出会える人もいれば、そうではない人もいる。

「この選手はもっと伸びる」と信じて指導してくれる人との出会いが、その後の人生を変えることだってある。

さらに、ケガもある。

どれだけ努力していても、重要な大会の直前にケガをすることはある。

プロ入りを左右する大事な時期に離脱してしまえば、それまで積み重ねてきた努力を十分にアピールできない可能性もある。

そして、誰に、いつ、どこで見てもらえるかという問題もある。

実力があっても、その実力を見てもらう機会がなければ評価されない。

つまり、「運」という言葉の中には、

才能、努力、環境、出会い、タイミング、健康、評価される機会、そして偶然。

そういった、自分では完全にはコントロールできないものが含まれているのではないだろうか。

「プロになった」という結果だけで実力を測っていいのか

ここで、少し怖いことがある。

それは、

「プロになった人=実力がある人」
「プロになれなかった人=実力がなかった人」

という単純な図式で考えてしまうことだ。

もちろん、プロになった選手には、それだけの競争を勝ち抜く実力があった。

これは間違いない。

ただし、それは「プロになれなかった人より、必ず圧倒的に実力が上だった」という意味ではない。

例えば、能力が非常に近い二人の選手がいたとして、そのうち一人だけがプロになったとしても不思議ではない。

ほんの少しの差。

あるいは、その差さえもないまま、環境やタイミングによって結果が分かれることだってある。

だから、

「結果」と「実力」は同じものではない。

結果は、その人の実力を表す一つの証拠ではある。

しかし、結果だけですべての実力を測ることはできない。

これはスポーツに限った話ではないと思う。

「プロになれなかった才能」は、確かに存在する

世の中には、プロになった選手だけが存在するわけではない。

プロを目指していたけれど、途中で競技を辞めた人。

最後まで努力したけれど、プロへの切符を掴めなかった人。

あと一歩というところまで行きながら、ケガや環境の問題で道を閉ざされた人。

そうした人たちの中にも、素晴らしい才能を持っていた人はたくさんいるはずだ。

ただ、その才能が「プロ」という結果に結びつかなかった。

それだけのことなのかもしれない。

もちろん、実力不足だったケースもあるだろう。

努力が足りなかったケースもある。

本人の判断や選択が結果に影響したケースもある。

だから、すべてを「運が悪かった」で片づけるのも違う。

しかし同時に、

「プロになれなかったのだから、才能がなかった」

と片づけてしまうのも違うのではないだろうか。

「運も実力のうち」という言葉をどう考えるか

では、「運も実力のうち」という言葉はどう考えればいいのだろう。

私は、この言葉を

「運を掴めるところまで努力したことも、その人の実力である」

くらいに捉えると分かりやすいと思う。

例えば、チャンスが巡ってきたとき、それをものにできるだけの準備をしていた人は、そのチャンスを結果につなげることができる。

何も準備していなければ、同じチャンスが来ても活かせない。

そういう意味では、努力や実力が「運」を結果に変えることはある。

ただし、だからといって、

「運が悪かった人は努力が足りなかった」

ということにはならない。

ここは非常に大切だと思う。

どれだけ努力しても、最後まで自分では動かせないものが人生にはある。

だからこそ、「運も実力のうち」という言葉を、努力不足を責めるために使ってはいけないのだと思う。

努力は「成功を保証するもの」ではない

私たちは子どもの頃から、

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

「努力すれば夢は叶う」

「諦めずに頑張れば、いつか報われる」

と教えられてきた。

もちろん、努力は大切だ。

努力しなければ、そもそも到達できない場所がある。

しかし、現実の世界では、

努力した人が必ず成功するわけではない。

むしろ、厳しい競争の世界になればなるほど、努力した人同士が最後に競争することになる。

プロスポーツなどは、その典型だろう。

プロを目指している人の多くが努力している。

努力している人と、努力していない人が競争しているわけではない。

努力している人同士が競争している。

だから、努力したからといって必ずプロになれるわけではない。

それは努力に意味がないということではない。

むしろ逆だ。

努力をしたからこそ、プロを目指せるところまで行けた。

努力をしたからこそ、あと一歩のところまで行けた。

努力をしたからこそ、そこでしか見えない景色を見ることができた。

結果だけでは、そこに至るまでの努力まで否定することはできない。

人生も、スポーツと同じなのかもしれない

この話をスポーツだけの話として考えるのは、少しもったいない気がする。

会社員として働く場合でも、

どんな会社に入るか。

どんな上司に出会うか。

どんな仕事を任されるか。

どのタイミングで景気が変わるか。

誰に評価されるか。

どんな人と出会うか。

こうした要素が、その人の人生に大きな影響を与える。

同じくらい努力していても、結果が大きく違うことは珍しくない。

それは、「努力の量」がそのまま「人生の結果」になるわけではないからだ。

もちろん、自分でコントロールできる部分は努力したほうがいい。

しかし、自分ではコントロールできない部分まで、自分の責任だと思い込まないことも大切なのではないだろうか。

「結果が出なかった」と「価値がなかった」は違う

プロになれなかった選手の話に戻ろう。

もし、その選手が何年間も夢に向かって努力し、最後まで諦めずに競技を続けたとしたら。

プロという結果を得られなかったからといって、その年月に価値がなかったと言えるだろうか。

私は、そうは思わない。

プロという結果には届かなかったとしても、その人が身につけた技術、体力、忍耐力、精神力、人間関係、競争の中で学んだこと。

それらは、その後の人生にも残っていく。

そして何より、

「自分は本気で何かを目指したことがある」

という経験は、他人には簡単に与えられるものではない。

夢が叶わなかったことと、その夢を追いかけた時間に価値がなかったことは、まったく別の話なのだ。

プロになった人も、なれなかった人も

プロになった選手を見て、

「すごいな」

と思うのは当然だ。

その世界で勝ち残ったのだから、それだけの努力と実力があった。

一方で、プロになれなかった選手を見て、

「才能がなかったんだ」

と簡単に決めつけることもできない。

もしかすると、その人もプロになれるだけの実力を持っていたのかもしれない。

ただ、最後のところで条件が揃わなかった。

ケガだったのかもしれない。

チーム事情だったのかもしれない。

タイミングだったのかもしれない。

出会いだったのかもしれない。

あるいは、本当にほんの少しの実力差だったのかもしれない。

外から見ている私たちには、そのすべてを知ることはできない。

だからこそ、

「結果だけで人の価値や実力を判断しない」

ということが大切なのだと思う。

最後に

スポーツの世界は、努力の大切さを教えてくれる。

同時に、努力だけではどうにもならない現実も教えてくれる。

プロになった人には、実力があった。

これは間違いない。

しかし、プロになれなかった人の中にも、プロになるだけの実力を持っていた人はいたはずだ。

その違いをすべて「実力」という一言だけで説明することはできない。

だから私は、

人生は「実力」だけで決まるものではない。

と思っている。

才能があり、努力をして、準備をして、チャンスを掴む。

そこまでは自分の力でできる。

でも、そのチャンスがいつ来るのか。

誰が見つけてくれるのか。

どんな環境にいるのか。

そのとき健康でいられるのか。

そして、その努力がどんな結果につながるのか。

そこには、自分では完全にコントロールできない「運」がある。

だからこそ、

「運も実力のうち」なのかもしれない。

ただ私は、それと同時に、

「運がなかったからといって、その人に実力がなかったわけではない」

ということも忘れてはいけないと思う。

プロになれなかった人の中にも、確かに才能は存在していた。

そして、夢が叶わなかったとしても、その人が夢を追いかけた時間まで消えてしまうわけではない。

人生において本当に難しいのは、

「結果を出した人だけを成功者と考えないこと」

なのかもしれない。

そして、自分自身についても、

「結果が出なかったから、自分には価値がなかった」

とは考えないこと。

努力しても結果につながらないことはある。

それでも、その努力には意味がある。

そう考えることができれば、「運」というものを少し違った角度から見ることができるのではないだろうか。

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