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樽屋町の名称碑の建っている場所ですが、上の写真は右側が愛宕町3丁目と左側が本町追手1丁目の境にある道路幅の広い場所ですが、なぜここだけこんなに道路の幅が広いのかという質問が、コメントでありました。
下のGoogle Earthの写真で見るとよくわかりますが、他の道路に比べてここだけ道幅が広くなっています。
これについて聞いてみるとこの辺りは、戦前住宅が密集していたところで その為戦時中建物疎開があり 一列の長屋を解体したための名残で今もここだけ道幅が広く残っている様です。
建物疎開とは、激化する都市への空襲に備え、火災の延焼を防ぐため、建物を解体して防火帯を作ることを建物疎開といいます。
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そして本当は、今の城東交番手前の家まで建物疎開で下の黄色の部分は、同じ幅の道路だったそうです。
それが終戦後「A」の区間だけバタバタと建物が建ち道路の幅が、狭くなったという事です。
写真Aの通称、くそ町横丁は真ん中に懐かしいツルベ井戸があり、おばちゃん達が洗濯板で洗濯してました。
高橋真慈さんへ
真ん中くらいに ツルベ井戸有りましたね。
くそ町横丁でしたか。
ションベン横丁かと思っていました(^^;)a