宇和島の謎 ポツンと幅広い道路

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樽屋町たるやまちの名称碑の建っている場所ですが、上の写真は右側が愛宕町3丁目と左側が本町追手1丁目の境にある道路幅の広い場所ですが、なぜここだけこんなに道路の幅が広いのかという質問が、コメントでありました。

下のGoogle Earthの写真で見るとよくわかりますが、他の道路に比べてここだけ道幅が広くなっています。

地図

これについて聞いてみるとこの辺りは、戦前住宅が密集していたところで その為戦時中建物疎開があり 一列の長屋を解体したための名残で今もここだけ道幅が広く残っている様です。

建物疎開とは、激化げきかする都市への空襲くうしゅうそなえ、火災かさい延焼えんしょうふせぐため、建物を解体かいたいして防火帯ぼうかたいを作ることを建物疎開たてものそかいといいます。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

そして本当は、今の城東交番手前の家まで建物疎開で下の黄色の部分は、同じ幅の道路だったそうです。

樽屋町建物疎開範囲地図

それが終戦後「A」の区間だけバタバタと建物が建ち道路の幅が、狭くなったという事です。

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「宇和島の謎 ポツンと幅広い道路」への2件のフィードバック

  1. 写真Aの通称、くそ町横丁は真ん中に懐かしいツルベ井戸があり、おばちゃん達が洗濯板で洗濯してました。

  2. 高橋真慈さんへ
    真ん中くらいに ツルベ井戸有りましたね。
    くそ町横丁でしたか。
    ションベン横丁かと思っていました(^^;)a

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