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まだ私が、小学生だった頃、宇和島に宇和島太郎という人物がいました。
私が、住んでいた愛宕町の方も歩いていました。
彼は、国防色■を もっと濃い色にした様なゴツイ服を着て黒い傘を脇に抱えて歩いていた様な記憶があります。
私は、その人を乞食と認識していました。
親から「勉強せんかったら将来あんな乞食になってしまうぞ!」という戒めを受けた覚えがあります。
本来、乞食は仏教用語で「乞食」と読むそうです。
「乞食」とは、僧侶が自己の物質的な身体を維持するために人に乞うことをいうそうです。
それが、僧侶でない者が路上などで物乞いをすることや同行為をする者も乞食と呼ぶようになったそうです。
乞食は、現在は差別用語(放送問題用語)とされているそうです。
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私は、宇和島太郎が、物乞いをしている姿は見た事がありませんので乞食というよりは、浮浪者を指すルンペンと称する方が合っているのかもしれませんね。
この宇和島太郎には、都市伝説が存在します。
いろんな人に 宇和島太郎の事を聴くと同じ答えが返ってきます。
宇和島市が、この宇和島太郎を養老院に入れ その施設でお風呂に入れて綺麗にしたところ亡くなってしまったという都市伝説です。
この話は、事実なのでしょうか それとも都市伝説なのでしょうか?
2017年5月3日加筆
Facebookのお友達のTosiharu Nakata さんからの情報によると!
赤松の畑の所に小屋らしき物がありましたよ❗そこに住んでたみたいです🎵
40年ほど前に良く仕事で赤松に行ったときに地元の方があそこに住んでると聞きましたね❗
私は宇和島太郎が白十字のパン屋の裏のごみ箱に頭を突っ込んで残飯(パンの耳)を食べてる時に後ろから足を持ち上げてごみ箱のなかに入れた事があります。悪い子供でした。
私が幼稚園のころ宇和島太郎は柔道衣みたいな服でした、そのあとモスグリーンの防寒着になりました。
高橋真慈さんへ
亡くなった時って何歳くらいだったんでしょうね?
高橋真慈さんへ
悪ガキですね(笑)
中学1年ぐらいまで、居たかなあ。1度喫茶店の外の陳列にへばり着いていた、気持ち悪かった。声を聴いたことはない。他にもいろんな人がいた。
高橋真慈さんへ
今日新しい噂を耳にしました。
宇和島太郎は、大浦の人で実は大金をタンス預金したいたとか!
たぶん、ヤギ先生の間違いですね!
私は小学校四年生の時下校中にダンボールの中に座っていた宇和島太郎に給食の残りのパンを投げたら、なにを言っているのかわからない言葉で激怒され追いかけられた事が有ります、ビビリました❗
よも山よも次郎さんへ
そういう想い出がありますか。
激怒され追いかけられた事があったとは、小学4年生頃ならそれは怖かったでしょうね(^^;)
高橋さんへ
ヤギ先生って何者ですか?
管理人様 はじめまして、塩成金太郎と申します。
宜しくお願い致します。
宇和島で、やぎ先生を御存知ない!?
もぐりですョ。
走るのが速く、城北中の体育祭1500m走に
どこからともなく、現れ(乱入して)出走中の生徒を
ごぼう抜きで走り去って会場を沸かせました。
テレビ番組、特ダネ登場にも出演されました。
こんなことを記すと失礼にあたりますが、
一見、汚れた格好をしていますが、超インテリです。
亡くなる少し前にジョギングしていた私に「よく頑張っているね。
柿は、身体に良いからしっかり食べなさい」と言われ
私も、しっかり食べてマスって、会話したのが最後でした。
塩成金太郎さんへ
「まあくんの星空カフェ」でコメントをされいた塩成金太郎さんですね。
ようこそ(^^)
ヤギ先生というから教師かと思っていたのですがそうでもないようですね。
いったいヤギ先生の職業は、何をされていたのでしょうか?
管理人様
そうです。塩成金太郎です。
なぜ、先生と呼ばれるようになったかは、存じませんが、
廃棄処分のダンボール・ビニールなどを集めて
いたと聞いています。
聞いた話ですが、元々は、一流企業に勤められて
いたそうです。
亡くなられているとはいえ、人それぞれの人生が
ありますので、これにてヤギ先生のコメは、
控えさせていただきます。
すみません。
塩成金太郎さんへ
了解です。
ありがとうございました(^^)