「宇和島の散歩道」カテゴリーアーカイブ

日本のジャンケンの掛け声

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子供の頃は、遊びの中で「ジャンケン」を する機会が多かったと思います。

日本のじゃんけんの起源は、中国あるいは朝鮮半島から九州に伝来したなど諸説あります。

最も有力な説は、日本に古くからあった三すくみ拳に、17世紀末に東アジアから伝来した「数拳(本拳・球磨拳・箸拳など)」のうち球磨拳の要素が加わった拳遊びから発展して、19世紀末に考案されたいうことです。

【球磨拳】

0 すべての指を握る グー
1 親指のみ開く
2 親指と人差し指を開く チョキ
3 中指、薬指、小指を開く
4 親指以外を開く
5 全て開く パー

 

数拳のうち、1, 3, 4が省かれ、分かりやすい0と5、及びその間の2を残し、これらに新しく「石」「紙」「鋏」の意味を与えて三すくみとし今の形になったとされます。

ジャンケンをする時には、一般的に「ジャンケン・ポン」と掛け声をかけていたと思いますが、私が子供の頃は、「じゃんまー・えす」と掛け声をかけていました。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

この掛け声って地方によって違うのかなと思いウィキペディアで調べてみました。

  • 北海道 – じゃらけつほい
  • 仙台 – いしけんぎっ、じっけっぴっ
  • 南東北 – じっけった
  • 北関東 じーげんぴっ
  • 関西 – いんじゃんほい(「いーんじゃーんで、ほーい」とのばす場合もある)
  • 東海 – いんちゃんし
  • 静岡 じすとっぺ
  • 飛騨 – じゃんけんしっ
  • 山陽 – じっけった

すると以上が、紹介されていました。

しかし宇和島で使っている「じゃんまー・えす」は、ウィキペディアで紹介されていませんでした。

「じゃんまー・えす」をウィキペディアに追加編集しておこうかなぁ!(^^;)

 

 

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音楽教師の橋村寿先生の想い出

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昨日父の友達のYさんが、散髪に来店されました。

その時に 橋村寿先生の名前がYさんから出て「橋村寿先生」は、私の父が、城南中学の時に恩師でお世話になった先生です。

Yさんからお聞きした話では、橋村寿先生は、音楽では有名な先生だったという事です。

うちに散髪にも来て頂いていましたので私も面識があります。

その頃は、宇和島の短大の音楽の先生をされていました。

音楽の先生だという事で 橋村寿先生が散髪に来店されたときは、私は先生とよく音楽の話をしていました。

あるとき私が橋村寿先生にピアノに興味があり練習したいとという話をしたら次に来店された時に 橋村寿先生が、ピアノの練習用の教本を2冊持って来て頂き私にプレゼントしていただきました。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

Piano Lesson 60時間
Piano Lesson 60時間

My Teacher
My Teacher

Yさんからお聞きした話では、橋村寿先生は音楽では有名な先生だったとお聞したのでネットで検索したらヒットするかなと検索すると「鬼城」さんのブログで「宇和島鉄道唱歌」が、ヒットしました。

橋村寿先生が、「宇和島鉄道唱歌」を作ったのかなと読んでみると「宇和島鉄道唱歌」を作られたのは、作歌が、小林葭江 氏で作曲が、宇和島高等女学校教諭 林みつ氏ということでした。

そして林みつ先生の原曲は未発見ということで丹野百合さんの伝唱を基にして、橋村寿先生が下記の様に採譜されたということでした。

宇和島鉄道唱歌                   南予時事新聞社主幹 小林葭江 作歌
宇和島高等女学校教諭 林みつ 作曲

1 朝(あした)の帆影 夕けむり 町 賑わしき宇和島の 鶴島城を後に見て いざや走らん汽車の旅
2 鎌江の杜に齋(いつ)きたる 和霊の宮に ぬかずきて 祈る心のやさしさを 神も うけてや守るらん
3 ペンキの色も新しき 宇和島駅に来て見れは プラットフォームに人充ちて 烟(けむり)は空に立ちのぽる
4 車掌が合図の笛の音に 時を違(たが)へず動ぎ出す 列車のきしる響には 須賀の水音物ならず
5 見上ぐる毛山 鬼ケ域 後に残して次に来る 八幡川原はその昔 安藤継明 忠死の地
6 鉄軌(レール)に沿へる川水の 上吹く風も心地よく 高串川の鉄橋も 瞬く ひまに走るなり
7 鍬もつ人も手をやすめ 道ゆく人も足とめて 見送る汽車は程もなく 高串駅に着きにけり
8 踏切り越えて山の手を たどる彼方に絵の如き 丁字(ていじ)の路は真直に 知永の坂を吉田まで
9 光満の谷の奥ふかく のぼりは汽車も遅ければ ゆきかう人や馬 車 呼べば応(こた)えんばかりなり
10 堀切りすぎて前に見る 駅は名に負う光満駅 積み出す里の産物は 光満牛蒡(みつまごぼう)に柑橘類
11 長追川に架けわたす 拱橋(アーチ)のさまも面白く 泉ヶ森を右にして 渡るもうれし拱(こう)の川
12 うねりくねれる坂路を 馬根まで走る三哩 窓の峠は まど近く 手に取る如く聳(そび)えたり
13 山と山との問にある 小池に影を映しつゝ 警笛高くひゞかせて 昼も小暗きあなに入る
14 岩切りぬきて貫(とほ)したる 窓の峠の隧道(トンネル)は 沿線一の難所にて 長さは二百数十尺
15 入りてはくゞる隧道(トンネル)の 前に開けし三間の郷 目さきに高き猪の鼻を 彼方にこゆる野村道
16 目もはるかなる田畠(でんばた)は 実(げ)にこの郷の誇りにて 四季折々の作物や 編み出す筵(むしろ)幾何ぞと
17 春は菜種に青き麦 秋は稲葉の黄金色 蚕飼(こかひ)の業も年々に 進みて村を富ますなり
18 務田の駅を後にして わたる小橋は務田川 仏ケ崎や森ケ鼻 左手に近く見ゆるなり
19 野村におこる水電の 変圧所とはあれなるよ 学びの庭に声するは 唱歌の節か音読か
20 四国札所の-つなる 仏木寺へは近けれど 又こん時もあるべしと ゆくてを急ぐ今日の旅
21 はや遠ざかる青稲田 戸雁の里も打ちすぎて 商家の軒の立ち並ぶ 宮野下とはここなれや
22 駿馬献じて御馬(みま)といふ 里の名得たる三間村に いつく三島の社より 左に見ゆる稲荷山
23 宮野下川 増穂川 金剛川(かなどうがわ)や小井出川 小川にかゝる橋々を 鳥より早く越していく
24 中野駅より一哩 走れば来る大内(おほち)駅 道行く人と手を交(かわ)し 語らま欲しきばかりなり
25 三間米産地の広き田を 過ぐれば来る絹笠の 古城にのこる故事(ふるごと)を 告ぐるか山のほとゝぎす
26 田畑を四方に見下せる 好藤村の学び家は 小高き丘に位置しめて 風もすゞしく月清し
27 ゆくてにかゝる三間川の 鉄橋(くろがねばし)は美しく 絵にある橋の如くにて 岸より岸に九十尺
28 沢松すぎて見もあかぬ 稲田の中に賤の家(や)の 竈(かまど)ひときは脹(にぎ)はふは 歴史に名ある内深田
29 深田は桜の名勝地 春は爰(ここ)より汽車降りて 棚曳く雲に大本の 社めぐりも面白や
30 勾配ゆるき鉄の 道ゆくひまも夢のごと 十余哩をやすやすと 近永駅につきにけり
31 右に旭の水わかれ 仙波峠も近くして 滝に名を得し仙郷を 辿(たどる)るも旅の土産(つと)なれや
32 左に泉 三島村 小倉の里に轟の 名所見ながら谷ふかく 成王(なるおう)瀬淵も探らなん
33 流れ絶えせぬ奈良川の 土手に匂ふは菫(すみれ)ぐさ 霞のおくに眺めやる 伽藍はふるき等妙寺
34 後醍醐帝の大御代に 天下四個寺と数へたる ゆかりも深きこの寺の 栄えもながき永野市(いち)
35 近永駅より一筋に のばす線路は松丸へ とゞく鉄軌の汽車の道 吉野にまでも及ぶらん
36 さてゆくゆくは吉野より 予土国境をふみ越えて 渡川(とがわ)をわたる時も来ん 開けゆく世の頬母しや林みつ先生の原曲は未発見なので、丹野百合さんの伝唱を基にして、橋村寿先生が下記の様に採譜されています。橋村寿先生が下記の様に採譜

鬼城より転載

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小学生の頃のドッチボールでの遊び!

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小学生の頃学校では、お昼休みにはドッチボールで キックベースボールをしたりドッチボールをしたりしてあそんでました。

キックベースボールやドッチボールは、全国的な遊びだったと思います。

学校以外では、「天下」という遊びをよくやって遊んでましたね。

この「天下」は、全国的な遊びなのか宇和島だけの遊びなのかよくわかりません。

同じような遊びでも「天下」というわず他の呼び方があるのかもしれません。

「天下」ってご存じですか?

「天下」とは、ドッチボールのルールに似たゲームですが、ドッチボールの様に枠は無く自由に動き回れ自分以外は皆敵です。

最初に「天下」と言ってボールを 上に高く投げ上げてそれがゲームの始まりの合図です。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

そのボールを取って 敵を目がけてボールを投げつけます。

相手に受け取られずにぶつける事が出来たら 相手は死んでゲームから外れます。

もしもそのボールを 相手に受け取られたら投げた本人が、死んでゲームから外れ待機状態となります。

その受け取った人が死ねば受け取られた人は、またゲームに復帰できます。

そうやって最終的に ゲームに勝ち残った人が、天下を取って勝利となります。

なので8人で「天下」をしていたら1人で7人をやっつけなくてはなりません。

もう今は、「天下」という遊びは、やっていないのでしょうかね?

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「おきんたまかき」が、またテレビで取り上げられたみたい!

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今、私が書いている「宇和島の散歩道」のブログでは、宇和島の方言を取り上げています。

すると9月15日に宇和島の散歩道のアクセスが、急上昇していてビックリしました。

いったいなぜと思い調べてみると「おきんたまかき」のキーワードでのアクセスが、多くピンときました。

もしかしたらまたテレビで宇和島の方言が、取り上げられたのかもしれないと思いFacebookのお友達に聞いてみました。

すると「マツコ」の番組で取り上げられていたという事でした。

それでアクセス急上昇の謎が解けました。

やっぱりテレビの影響は、スゴイですね。

「おきんたまかき」の意味は、「お世辞を言う人!」です。

ちなみに宇和島の方言で「おきんたまかき」は、どういう場面で使われるかというと

会社や役所などで人事異動が、あった時期にこの「おきんたまかき」という言葉を聞くそうです。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

「おきんたまかきが、出世しとらい!」という感じで使われるようです。

御金玉おきんたまを 御輿みこしに乗せてかく」という事で「大切なモノを持ち上げる」という事で上司などに「お世辞を言って」持ち上げて上司が出世したら自分もその理に預かろうとすることですね?

「おきんたま」とは、重要人物(大切な人)を指します。

金玉は、男性の大事なところです。そこから「金玉」に「お」を付けて丁寧に言って「おきんたま」を 重要人物(大切な人)会社では、社長や上司を言うようになったのだと思います。

そして「おきんたまかき」の「かき」は、かつぐという意味で 自分たちの組織や集団の代表者の地位に据えて押し立てることですね。(※宇和島では、かつぐ事を「かく」といいます!)

という事で 自分に都合の良い人を御輿みこしに乗せて担ぎ上げるという事で お世辞を言ってその人を担ぎ上げて利を得ようとしている人を「おきんたまかき」というようになったんだと思います。

これはあくまでも私の仮説でしかありません!

 

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昔の地名を変更するのはある意味危険な事!

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宇和島市も 昔と今では町名が変わってるところがあります。

昔の町名というのは、ちゃんと理由がありその町名が付けられています。

例を上げると今は、愛宕町ですが昭和41年以前までは、大工町と言われていました。

これは、宇和島藩御作事奉行おさくじぶぎょう配下の大工職人が、多く居住していたのでこの名前が付いたそうです。

そして樽屋町たるやまちは、元禄頃の記録では木挽町こびきちょうとありますが、後に樽屋たるやが多く居住したので樽屋町たるやまちと改称されたといわれています。

という風に昔は、意味があってその町の名前がついていました。

そして昔の人は、その土地が危ない土地である事を後世に伝えるために その名前をつけている地名もあります。

その地名に入ってると「危ない」と言う危険を知らせるために使われている漢字があります。

「龍・竜」の文字が、入ってると激しい豪雨や津波があった場所だと言われています。

「龍・竜」が入っている場合は、昔水害が起きた場所をさす場所かもしれませんね。

「鮎」は、揺らぐ(あゆく)からきていますので地盤の弱い土地を意味しています。

「蛇」は、土砂、濁流が押し寄せる危険性がある地名に入っている漢字です。

おなは、「男浪おなみ」と書いて「女」と読みやすくなったもので津波をあらわしているようです。

「亀」は、獲物を食いちぎるので 陥没地帯をさしています。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

亀=噛めで水の浸食を受けやすい場所をさしています。

「駒」は、込み入った小さな谷や沢や崩れやすい窪地の事を言います。地盤が弱いため洪水の警告の意味があるようです。

「椿」は、そばゆが由来の椿という言葉。戯ゆとは、柔らかい風が吹く様子や刈り取るという意味があります。

崖が、刈り取ったように削られる崩壊しやすい地形を言いう様です。

「梅」は、埋めるに由来しています。土砂崩れや液状化や埋め立てたところをさしています。

地盤が、緩いため陥没や液状化に注意が必要な土地に使われているようです。

「倉」は、江戸時代に崖崩れや雪崩などの災害が起こり易い場所に「倉」という字を入れたという事です。

「芝」は、シカをさしシカとは、低地を言います。

芝の入っている地名は、川の氾濫や浸水の危険が高い事をつたえてるということです。

川の近くにある土を芝土というようです。

現代社会では、その土地の名前が縁起が悪いからといって元の地名の漢字を変えてしまって 昔の人々が残した意味が伝わらなくなっている地名が多くなっています。

もしその地の名前を変更する場合でも その昔の土地の名前と由来を碑にして残して置くべきですね。

 

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