「自分史」カテゴリーアーカイブ

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その14

【スポンサーリンク】

LINEで送る
Pocket

前回のブログ(私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その13)の続きになります。

【閉鎖登記簿に載っていた吉田名義が判明】

12月18日に松野町役場に原戸籍を取りに行った事で色々とわかってきた事がありました。

この時に取った原戸籍は、私の曾祖父の奥さんの「クラさん」と「その両親」の原戸籍と 曽祖父の父の「竹葉類蔵」の原戸籍を取りました。

その13では、「竹葉類蔵」の原戸籍の情報を紹介しましたので 今回は、「クラさん」と「その両親」の原戸籍からの情報を家系図に加えました。

今回は、その13で言っていたように吉田Rさんについてお話しします。

この吉田Rさんは、明治時代に竹葉酒造だった場所(現在の正木正光酒造場)となっている場所の閉鎖登記簿を取って所有者欄を確認したときに一番最初に登場した人物でした。

苗字が、吉田だったので「お~!」と思いましたが、その人物の名前は、私が今まで集めていた原戸籍にはまったく登場していませんでしたので母の実家の吉田との関わりが、まったくわかりませんでしたが、今回新たに集めた原戸籍の中に この人物「吉田Rさん」のお名前が出てきました事で 母の実家との関わりが判明しました。

この「吉田Rさん」は、私の曾祖父の奥さん「クラさん」の兄であることが分かりました。

【▼記事は、下記に続く】

スポンサーリンク


【▲上記の記事からの続き▼】

そしてクラさんのお姉さんが、なんと竹葉類蔵の長男に嫁いでいる事もわかりました。

このことで家系図が、かなり複雑化されてきました。

家系図2

この家系図を見ていると吉田喜平吉田サヨ竹葉類蔵の家系が、絡み合ってる感じです。

次回は、やっと松丸随一の豪商で知られる吉田屋が判明します。

私の母の実家は松丸随一の豪商?!その15

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!(バックナンバー)

LINEで送る
Pocket

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ にほんブログ村 美容ブログ 理容室・床屋へ

スポンサーリンク
スポンサーリンク

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その13

【スポンサーリンク】

LINEで送る
Pocket

前回のブログ(私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その12)の続きになります。

【ドラマのような展開】

12月18日にまた松野町役場に原戸籍を取りに行きました。

今回は、私の曾祖父の奥さんの「クラさん」と「その両親」の原戸籍と 曽祖父の父の「竹葉類蔵」の原戸籍を取ってみました。

曾祖父を養子にした「吉田サヨ」さんより上の戸籍は、廃棄されていたので取る事ができませんでしたので 今度は、母の実家ではなく そのサイドから攻めて行けば何かわかるかなと思いました。

そしてその狙いが当たりました!

私が、今まで集めていた原戸籍にはまったく登場してなくて閉鎖登記簿に登場していた吉田姓の人ですが、その吉田姓の人が、今回新たに取った原戸籍に登場しました。

これからは、その吉田姓の人を 吉田Rさんと呼びます。

吉田Rさんについては、次回にお話しします。

 

新しい原戸籍を取って その情報を元に今までの家系図に新しい竹葉類蔵(竹葉酒造)の情報を 書き加えていくとドラマのような展開が見えてきました。

今回は、そのお話をします。

今までの家系図がこれです。

【家系図1】

家系図1

私の曾祖父は、竹葉酒造の竹葉類蔵の二男で 吉田家の吉田サヨさんの養子となりました。

その後、私のおばあさんを養女に貰っていました。

 

そして新しく竹葉類蔵(竹葉酒造)の情報を付け足して作った家系図がこれです。

【家系図2】

【▼記事は、下記に続く】

スポンサーリンク


【▲上記の記事からの続き▼】

家系図2

ちょっと複雑になってきましたので 分かり易くするために簡略化した図を作って説明します。

【家系図3】

家系図3

ドラマのような展開とは、結論から言いますと私のおばあさんは竹葉酒造の血筋を引いていた事が分かりました。

竹葉類蔵の二男の私の曾祖父は、吉田家の吉田サヨの養子になりました。

その後 私の曾祖父は、Y家より私のおばあさんを養女に貰います。

そのY家の 私のおばあさんの実の父は、なんと竹葉類蔵の三男であった事が、新たに取った原戸籍からわかりました。

竹葉類蔵の三男は、Y家に養子に入っていたのです。

なので私の吉田の曾祖父の弟が、私のおばあさんの父親になります。

なので 私のおばあさんと吉田の曾祖父の関係は本当なら叔父と姪の関係になります。

なんかドラマのような展開となりました。

そしてこれからまた家系図が、複雑になっていきます!

それでは、次回は、 吉田Rさんの事を紹介します。

 

私の母の実家は松丸随一の豪商?!その14

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!(バックナンバー)

LINEで送る
Pocket

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ にほんブログ村 美容ブログ 理容室・床屋へ

スポンサーリンク
スポンサーリンク

天保15年までしかないのに戸籍には何故か天保18年と!

【スポンサーリンク】

LINEで送る
Pocket

月曜日に松野町役場へ取りに行った原戸籍を調べてExcelへ整理していて気が付いたのですが、元号を西暦に直す作業をしていたら天保18年を西暦に直すと何年になるのかなぁと ネットで検索していたら天保は、15年までしかありませんでした。

えっ!なんで?

戸籍

この年数は、「天保十八年十月三日」と 誰が見てもわかる文字で書かれていますので 私の読み間違いは無いと思います。

なので これって書き間違いなのかなぁと戸籍を よく見てみると「平成拾壱年弐月壱日再生」とスタンプが押されていました。

これってどういう意味なのか?

平成11年に新しく戸籍を移し替えたのかなぁ?

その時に 書き間違いしたのかなと。

【▼記事は、下記に続く】

スポンサーリンク


【▲上記の記事からの続き▼】

しかし 平成だったら手書きでは、なく活字にするのではないかなと思うので やなり原本自体が、間違って記入されているのかなぁと 色々と考えを巡らせていましたが、やはりこれは、松野町役場に聞くのが、早いと思い電話で問い合わせをしてみました。

役場に問い合わせると「再生」というスタンプは、紙がボロボロになった場合に 新しく写し返るということで その時は、手書きで移し替えているそうです。

もし戸籍が火災にあって再生するときは、「火災再生」というスタンプが押されるそうです。

なので写し返る作業をしたときに 間違ったんだと思いますとの回答でした。

そこで この情報に繋がるモノが無いか調べましたが、見つかりませんでしたという事でした。

「覆水盆に返らず」ですね!

 

LINEで送る
Pocket

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ にほんブログ村 美容ブログ 理容室・床屋へ

スポンサーリンク
スポンサーリンク

三度松野町役場へ原戸籍を取りにそして大なる収穫

【スポンサーリンク】

LINEで送る
Pocket

昨日の月曜日は、連休で定休日でしたので また松野町役場へ原戸籍を取りに行っていました。

松野町役場へ行くのは、これで3度目だと思います。

今回は、私の曾祖父の奥さんの「クラさん」と「その両親」の原戸籍と 曽祖父の父の「竹葉類蔵」の原戸籍を取ってみました。

曾祖父を養子にした「吉田サヨ」さんより上の戸籍は、廃棄されていたので取る事ができませんでしたので 今度は、サイドから攻めて行けば何かわかるかなと思いました。

原戸籍を見るとお宝となる名前を発見しましたので その人物の原戸籍も追加でお願いしました。

今回は、原戸籍を取るのに6750円かかってしまいましたが、お宝の名前が、有った事で支出した金額もあまり気にならないほどの喜びでした。

そして松野町役場のKさんにお会いしよと教育委員会を尋ねましたら今日は、休んでおられて合う事が出来ませんでした。

そこで この前にKさんが紹介されていました「芝家文書調査報告」を 松野町役場の図書コーナーで読んでみる事にしました。

その中にもまた 知りたい情報が掲載されていました。

それは、松丸随一の豪商として知られる吉田屋の前身と考えられる人物の名前が記述もされていました。

【▼記事は、下記に続く】

スポンサーリンク


【▲上記の記事からの続き▼】

なのでそのページをコピーして頂きました。

4ページ分をコピーして頂き200円の支出です。

宇和島に帰って直接法務局へ寄って次は、母の実家の閉鎖登記簿を取りました。

こちらの閉鎖登記簿には、私の知ってる人の名前が、色々と出てきました。

ただ建物の登記は、無いという事でしたのが残念でした。

法務局では、閉鎖登記簿にかかった金額は、600円でした。

そして その足で次は、パフィオの市立中央図書館へ寄って「松野町商工誌」を借りて帰ることにしました。

家に付いたのが、13時30分くらいでしたでしょうか。

それから昼飯となりました。

LINEで送る
Pocket

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ にほんブログ村 美容ブログ 理容室・床屋へ

スポンサーリンク
スポンサーリンク

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その12

【スポンサーリンク】

LINEで送る
Pocket

前回のブログ(私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その11)の続きになります。

大正時代に消えた松丸随一の豪商だった松丸の吉田屋

【吉田家家系図】

吉田家家系図

私の曾祖父は、竹葉類蔵の二男で前戸主の吉田サヨの養子になって吉田家の家督相続をしています。

曾祖父とクラさんが、離婚した理由は、もしかして父から聞いていたあの事が原因なのではと 原戸籍から情報を読み取って作った曾祖父の年表と 閉鎖登記の旧土地台帳を見ながら考察してみました。

すると有る事が見えてきました。

松丸明治時代地図

私が集めた原戸籍には登場しない吉田姓の人から「岡田惣十郎」に所有権が移転した年月日は、明治32年10月31日となっています。

また違う地番号で竹葉類蔵から岡田忠一郎に所有権移転した年月日は、明治33年8月28日です。

そして私の曾祖父とクラさんが、離婚したのが、明治34年9月10日となっていました。

これら一連の流れが明治32年、明治33年、明治34年と続いています。

原戸籍には登場しない吉田姓の人が、吉田サヨさんのご主人だと考えると

私が、子供の頃に父から聞いていた話では、母の実家の吉田は、請け判をして財産を減らしたと言っていましたし従姉の話では、それもあったかもしれんけど株で失敗したという話を聞いている様でした。

それらが理由で土地や建物を手放さなくてはならなくなったのが、この明治32年から33年の時期だったのではないかと想像し その事により明治34年にクラさんと離婚する事になったのかとも想像できます。

そして 松丸随一の豪商だった松丸吉田屋は、明治時代には、松丸に3軒も店を出していたのに大正時代の地図には、1軒も載っていませんので 商売に失敗して潰れたのかもしれません。

そして吉田家の財産を減らしたのは、松丸随一の豪商だった吉田屋の請け判をしていたのでは?とも考えられます。

【▼記事は、下記に続く】

スポンサーリンク


【▲上記の記事からの続き▼】

従姉の話では、母の実家の吉田家は、分家で吉田屋が本家にあたるという話をしていました。

ただ私が集めた戸籍からは、吉田屋に繋がる人名の登場は有りませんでしたので 本家分家の関係なら江戸時代に分かれた事になります。

もし吉田サヨさんの上の戸籍が取れたら何か吉田屋に繋がる情報が得られたのかもしれません。

その後クラさんとは、一度離婚してまた大正7年に再婚しているという事は、何かの便宜上、離婚しておく方が良かったのかなとも思ったりもします。

そしてこの後、明治37年に 私のおばあさんが、吉田家の養女に7歳のときに入っています。

戸籍上は、7歳なのですが、従姉が聞いた話では、赤ちゃんのときに養女になったという事でした。

【おまけ】

国立国会図書館([松野町誌]須田武男 著, 松野町, 1974年,コマ番号745 本P1451 URL:https://dl.ndl.go.jp/pid/9769446/1/745)から得た情報では、私の曾祖父の父親の竹葉類蔵は、1830年天保元年12月26日近永村の九十郎(川添)の三男に生まれ松丸村の一之進(竹葉)の養嗣ようしとなっています。そして松丸村戸長や郵便局長を務め1893年 明治26年から明治27年の間明治村長を務めていました。

この竹葉類蔵も竹葉家に養子に入っていたんですね。

昔は、養子が多いですね。

【曾祖父の年表】

曾祖父の歳 西暦 元号 出来事
0歳 1862年 文久2年4月8日 生まれ
19歳 1881年 明治14年12月30日 竹葉より吉田サヨの養子に入る
19歳 1881年 明治14年12月30日 吉田の家督相続
25歳 1887年 明治20年4月26日 クラ入籍
39歳 1901年 明治34年9月10日 クラ協議離婚
42歳 1904年 明治37年3月29日 7歳の祖母と養子縁組 入籍
56歳 1918年 大正7年11月25日 クラと再婚入籍
56歳 1918年 大正7年11月25日 祖母は、最初の夫と婚姻
57歳 1919年 大正8年5月13日 祖母は、最初の夫と協議離婚
58歳 1920年 大正9年2月15日 クラ午前7時30分死亡
59歳 1921年 大正10年7月18日 吉田光男養子に入り祖母と婚姻
61歳 1923年 大正12年12月4日 町の吉田酒屋の老夫婦が隠居所を建てる噂が
65歳 1927年 昭和2年2月4日 午前9時死亡

 

私の母の実家は松丸随一の豪商その13

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!(バックナンバー)

LINEで送る
Pocket

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ にほんブログ村 美容ブログ 理容室・床屋へ

スポンサーリンク
スポンサーリンク