金剛山大隆寺の伊達家の墓所のYouTube動画を作っていて不思議に思った事が、今回のブログのタイトルにもしました「初代宇和島藩主伊達秀宗と正室亀姫のお墓が分かれている謎!」です。
初代宇和島藩主伊達秀宗のお墓は、龍華山等覚寺にありますが、秀宗の正室の亀姫お墓は、金剛山大隆寺となります。
藩主秀宗のお墓と 正室の亀姫のお墓が別々のお寺なんですよね。
正室の亀姫は、鶴松姫の産後が悪く、32歳で若くして亡くなっています。
正室の亀姫を失った秀宗は、亀姫を慈しみ、32歳の若すぎる死を嘆き悲しんだと言います。
秀宗は、亀姫の功を末代まで残そうと、前の藩主富田氏の菩提寺金剛山正眼院を拡大修復して伊達家の菩提寺とし亀姫を篤く丁重に葬ったということです。
それとは別に秀宗は、宇和島藩の菩提寺として、1618年、母の菩提を弔うために臨済宗妙心寺派竜華山等覚寺を建立しています。以後、竜華山等覚寺は、自身の菩提寺ともなるお寺です。
3女の鶴松姫は、1630年に生まれてその後、亀姫は産後の肥立ちが悪くて亡くなられたという事ですので 竜華山等覚寺は、既にできていたので亀姫のお墓を竜華山等覚寺にしても良かったのではないでしょうか?
スポンサーリンク
【▲上記の記事からの続き▼】
宗派の違いで 藩主と正室のお寺を分ける場合もあるようですが、金剛山大隆寺も竜華山等覚寺も臨済宗妙心寺派なので宗派違うという理由もないようです。
現代であれば奥さんが、姑の入ってるお墓には入りたくないという事も有るようですが、秀宗は、気を使って亀姫を金剛山大隆寺に埋葬したのでしょうかね?
あと9代藩主宗徳もそうですね。
9代藩主宗徳は、金剛山なのに その正室や、継室のお墓は、龍華山にあります。
これらは、伊達博物館に問い合わせても謎なんだそうです!