前回のブログ(私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その8)の続きになります。
【明治時代竹葉酒造だった場所の閉鎖登記簿を取ってみた】
12月4日月曜日に法務局で 明治時代に竹葉酒造(現・正木正光酒造場)が、有った場所の明治時代からの土地と建物の閉鎖登記簿を取ってみました。
閉鎖登記簿を取った理由は、私のおばあさんが(現・正木正光酒造場)が、有った場所の家で子供の頃育ったという話を聞いた事と 従姉から昔は、あそこが吉田の家だったという話を聞いたので 調べてみたくなり最初に調べたのが、明治時代の松丸の地図でした。
明治時代の松丸の地図(明治中期から後期)で その場所を確認してみると竹葉酒造となっており吉田の名前では掲載されていませんでした。
そこで閉鎖登記簿を調べれば不動産の過去の状況や、所有者に関する情報を知ることができるのではと思い法務局でその場所の明治時代からわかる登記簿を取ってみる事にしました。
土地建物の閉鎖登記簿を取って調べてみると建物に付いては、明治33年以降の情報からしか載って無くて それ以前の情報は破棄されてるようです。
また土地についても明治32年以降の情報しか載ってなく それ以前の情報もやはり破棄されているようでした。
という事で松丸の地図のように 閉鎖登記簿も明治後期の情報しか確認する事しかできませんでした。
閉鎖登記簿を調べた結果、明治後期の建物情報には、吉田の名前を見つける事は出来ませんでした。
そして土地情報では、一番最初に吉田姓の名前を確認する事ができました。
その名前の上の年月日の欄は、空白となっており その隣の欄の年月日は、明治32年10月31日と記載されていて所有権移転の印が押されて所有者の欄には、明治時代の中期から後期の地図に掲載されている竹葉酒造の左隣の岡田惣十郎の名前が掲載されていました。
ということで 明治32年以前は、竹葉酒造の左側の土地は吉田姓の人が、持っていてその後、明治32年に岡田惣十郎へ所有権が、移ったという事になります。
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【▲上記の記事からの続き▼】
そして竹葉酒造の場所も閉鎖登記簿の土地情報を見ると最初の年月日の欄は、空白になったいて その隣に家督相続の印が押されていて所有者欄は、竹葉類蔵と記載されているので竹葉酒造は、元から地図の場所が竹葉酒造の所有していたモノだと思われます。
なので建物に付いても 明治初期の情報が閉鎖登記簿に残っていれば吉田姓の人の名前が、掲載されていた可能性もあると思われます。
ただ閉鎖登記簿に書かれている吉田姓の人の名前は、私が集めた古い吉田の戸籍謄本の中には登場していません。
果たしてこの吉田姓の人と吉田家は、どういう関係になるのか?
また新しい謎が生まれました。
昔祖母が、あの家で育ったという事で仮説を立ててみると可能性としては閉鎖登記簿に書かれている吉田姓の人は、吉田サヨの主人になるのかもしれません。
しかし吉田サヨより古い戸籍は、破棄されていて見る事ができませんので吉田サヨの主人の名前が、吉田姓の人なのかどうなのかを調べるすべは今のところありません。
吉田サヨの主人の名前を調べるには、お墓かお寺の過去帳で調べるしかなさそうですね。