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私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その16

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前回のブログ(私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その15)の続きになります。

【竹葉類蔵ミステリー】

松野町役場の図書コーナーに置かれている「芝家文書調査報告」の中に「吉田喜兵衛きへいは、近代松丸随一の豪商として知られていた吉田屋の前身と考えられ紙や蝋を大阪と直接取引をしたとある。」

芝文書調査報告

というよな事が、芝家の古文書に書かれていましたので「吉田喜兵衛きへい」の名前を 国立国会図書館のデジタルコレクションで検索をしてみました。

するとその名前で何冊もずらっとヒットしました。

その本の中から松丸に関係のありそうな本を探してみました。

関係のありそうな本が、見つかりました。

タイトルは、「高山浦庄屋史料 : 田中家史料 (宇和島・吉田藩史料. 宇和島藩庄屋史料)」です。

その中の35 コマ目に松丸の字がみえましたのでそのページを見てみる事にしました。

そのページには、2人の「吉田喜兵衛きへい」の名前が、載っていました。

よくよくみると 松丸と書かれている方の「吉田喜兵衛きへい」が、ありましたので吉田の祖先は、こちらだなと確信しました。

その隣には、正木や竹葉の名前もありました。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

竹葉の名前を見ると「竹葉類右衛門」と書かれていましたので 竹葉家のご先祖さんだなと見当が付きました。

曾祖父の父が、類蔵ですから昔なら親の一字を入れるという事もあると聞いていますし 私の従妹が、言うには喜兵衛の名前を代々受け継いてきたという話も聞いているようです。

なので 吉田精三の父は、「吉田喜平」と「吉田喜兵衛きへい」は、同一人物で無いなら字を替えて「きへい」の名前を受け継いでいるのかなとも思いました。

同じ名前の竹葉類蔵が相続をしているミステリーですが、これは類蔵の長男が、家督相続をしたあとに改名をしていた事が分かりました。

という事で 竹葉類蔵が亡くなって竹葉の長男が家督相続をした事で竹葉類蔵の「類蔵」という名前を引き継ぐために長男は、「竹葉M」から名前を改名したのかなという理由もありそうです。

その後、名前を類蔵に改名したあと長男は、5回も本籍地を変更しているのかの理由がちょっと想像が付きません。

なぜ長男は、5回も本籍地を変える理由があったのでしょうかね?

私の母の実家は松丸随一の豪商?!その17

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!(バックナンバー)

 

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私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その14

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前回のブログ(私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その13)の続きになります。

【閉鎖登記簿に載っていた吉田名義が判明】

12月18日に松野町役場に原戸籍を取りに行った事で色々とわかってきた事がありました。

この時に取った原戸籍は、私の曾祖父の奥さんの「クラさん」と「その両親」の原戸籍と 曽祖父の父の「竹葉類蔵」の原戸籍を取りました。

その13では、「竹葉類蔵」の原戸籍の情報を紹介しましたので 今回は、「クラさん」と「その両親」の原戸籍からの情報を家系図に加えました。

今回は、その13で言っていたように吉田Rさんについてお話しします。

この吉田Rさんは、明治時代に竹葉酒造だった場所(現在の正木正光酒造場)となっている場所の閉鎖登記簿を取って所有者欄を確認したときに一番最初に登場した人物でした。

苗字が、吉田だったので「お~!」と思いましたが、その人物の名前は、私が今まで集めていた原戸籍にはまったく登場していませんでしたので母の実家の吉田との関わりが、まったくわかりませんでしたが、今回新たに集めた原戸籍の中に この人物「吉田Rさん」のお名前が出てきました事で 母の実家との関わりが判明しました。

この「吉田Rさん」は、私の曾祖父の奥さん「クラさん」の兄であることが分かりました。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

そしてクラさんのお姉さんが、なんと竹葉類蔵の長男に嫁いでいる事もわかりました。

このことで家系図が、かなり複雑化されてきました。

家系図2

この家系図を見ていると吉田喜平吉田サヨ竹葉類蔵の家系が、絡み合ってる感じです。

次回は、やっと松丸随一の豪商で知られる吉田屋が判明します。

私の母の実家は松丸随一の豪商?!その15

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!(バックナンバー)

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私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その13

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前回のブログ(私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その12)の続きになります。

【ドラマのような展開】

12月18日にまた松野町役場に原戸籍を取りに行きました。

今回は、私の曾祖父の奥さんの「クラさん」と「その両親」の原戸籍と 曽祖父の父の「竹葉類蔵」の原戸籍を取ってみました。

曾祖父を養子にした「吉田サヨ」さんより上の戸籍は、廃棄されていたので取る事ができませんでしたので 今度は、母の実家ではなく そのサイドから攻めて行けば何かわかるかなと思いました。

そしてその狙いが当たりました!

私が、今まで集めていた原戸籍にはまったく登場してなくて閉鎖登記簿に登場していた吉田姓の人ですが、その吉田姓の人が、今回新たに取った原戸籍に登場しました。

これからは、その吉田姓の人を 吉田Rさんと呼びます。

吉田Rさんについては、次回にお話しします。

 

新しい原戸籍を取って その情報を元に今までの家系図に新しい竹葉類蔵(竹葉酒造)の情報を 書き加えていくとドラマのような展開が見えてきました。

今回は、そのお話をします。

今までの家系図がこれです。

【家系図1】

家系図1

私の曾祖父は、竹葉酒造の竹葉類蔵の二男で 吉田家の吉田サヨさんの養子となりました。

その後、私のおばあさんを養女に貰っていました。

 

そして新しく竹葉類蔵(竹葉酒造)の情報を付け足して作った家系図がこれです。

【家系図2】

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【▲上記の記事からの続き▼】

家系図2

ちょっと複雑になってきましたので 分かり易くするために簡略化した図を作って説明します。

【家系図3】

家系図3

ドラマのような展開とは、結論から言いますと私のおばあさんは竹葉酒造の血筋を引いていた事が分かりました。

竹葉類蔵の二男の私の曾祖父は、吉田家の吉田サヨの養子になりました。

その後 私の曾祖父は、Y家より私のおばあさんを養女に貰います。

そのY家の 私のおばあさんの実の父は、なんと竹葉類蔵の三男であった事が、新たに取った原戸籍からわかりました。

竹葉類蔵の三男は、Y家に養子に入っていたのです。

なので私の吉田の曾祖父の弟が、私のおばあさんの父親になります。

なので 私のおばあさんと吉田の曾祖父の関係は本当なら叔父と姪の関係になります。

なんかドラマのような展開となりました。

そしてこれからまた家系図が、複雑になっていきます!

それでは、次回は、 吉田Rさんの事を紹介します。

 

私の母の実家は松丸随一の豪商?!その14

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!(バックナンバー)

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私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その7

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前回のブログ(私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その6)の続きになります。

【「松野町商工誌」の内容と戸籍から得られた情報の矛盾】

昨日12月4日は、仕事が休みでしたので松野町役場へ 私の祖父(光男)と祖母(私のばおあちゃん)と曾祖父の戸籍を取りに行きました。

そして役所で松丸の明治大正の郷土史に詳しい方を尋ねると教育委員会のKさんを紹介して頂きまして色々とお聞きいたしました。

その話は、また次の機会とし今回は、祖父(光男)と祖母(私のおばあちゃん)と曾祖父の戸籍から分かった事をご紹介します。

今回、戸籍を取ってやっと吉田家と竹葉家の関係が分かりました。

戸籍を見ると私の曾祖父は、「竹葉類蔵の二男入籍す」と書かれており 吉田家に養子として入ったという事です。

竹葉酒造

竹葉類蔵というのは、上記で「松野町商工誌」で説明されてる文章内に出てくる「竹葉類造」となります。ただ「類造」の「造」の字が、戸籍では、この「蔵」となっています。

竹葉類蔵

この竹葉は現竹葉伝家の昔の分家であり、竹葉類造は明治26年から27年にかけて明治村長をした。歴史の豪家であったが子供がなくて絶えた。娘は吉田家に嫁ぎ、しばらく吉田光男が酒造をすすめた。

この「松野町商工誌」での説明文は、あまりにも簡単過ぎて事実がよくわかりません。

「歴史の豪家であったが子供がなくて絶えた。」と書かれていますが、私の曾祖父は、竹葉類蔵の二男と書かれています。

ただ本で説明されている竹葉家から吉田家に娘が嫁いだという事実は、戸籍には書かれていませんでした。

従妹は、従妹の母親やおばあちゃんから聞いたということで トラさんという人が、おばあちゃんの育ての親だと話ていましたのでてっきり トラさんと曾祖父が、結婚されていたのかと思いましたが、戸籍を調べると曾祖父の妻は、クラと書かれていました。

一番古い戸籍の前戸主は、女性で 亡養母 吉田サヨと書かれていました。

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

そして吉田サヨの戸籍の上は、抹消されていて取れる戸籍は、ここまでのようです。

曾祖父の妻(クラ)は、吉田喜平と母亡トモ三女と書かれていましたのでこの二人の子供だとわかりました。

ただ亡養母 吉田サヨと吉田喜平は、どういう関係になるのかがよくわかりません。

今までに分かった事を 系図にまとめるとこんな感じになります。

吉田家系図

ちなみに前回の家系図は、こんな感じでした。

吉田家系図

こうなるとおばあちゃんの育ての親というトラさんは、どうなるのか?

トラとクラの従妹の聞き間違いなのか?

まぁ 養女とか養子とか多すぎて肝心の「吉田屋」の吉田精三との関係は、戸籍からは手掛かりが得られませんでした。

松丸明治時代地図

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!その8

私の母の実家は松丸随一の豪商だった?!(バックナンバー)

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