【スポンサーリンク】
以前、三島神社を撮影しに行ったときに 初めて知ったのですが、三島神社に銅像が、建っていてそれまでまったく気が付いていませんでした。
そして名前を見ても 誰なのか分からずその名前でネット検索をして調べて はじめて三島神社に建ててある銅像「梶原計国」という人がどういう人物か知る事ができました。
梶原計国という名前は、宇和島の昔のローカル新聞を読むと新聞にちょくちょく登場している人でしたので 昔は、知名度が高かったようです。
そして最近は、天赦公園へ撮影に行って またまた謎の銅像を発見しましました。
やはり銅像が、建っていても その銅像の名前を見てもピンときません。
「あんた誰? 何をされた人?」
これでは、銅像となられた人もかわいそうですね。
天赦公園に建てられてる銅像は、薬師神岩太郎という人でした。
【▼記事は、下記に続く】
スポンサーリンク
【▲上記の記事からの続き▼】
スポンサーリンク
【▲上記の記事からの続き▼】
名前聞いても分からないでしょう。
私も何をされた人かまったく知りませんでした。
調べてみると 来村長、宇和島市議会議員、愛媛県議会議員、市及び県農業会長となり地方産業の振興に尽くされ 昭和21年には、衆議院議員に当選し特に段畑農民の苦境を救済するために 急傾斜地帯農業振興臨時措置法を自ら提案成立させたということです。
昭和28年8月に64歳で亡くなられています。
宇和島市出身の偉人の法学者の穂積陳重の生前の言葉が有名ですよね。
「老生は銅像にて仰がるるより万人の渡らるる橋となりたし」
穂積陳重さんは、銅像となっても時が経てば人から忘れ去られてしまうという事を知っていたのかも知れせんね!