福田和子を警察に通報した福井市のおでん屋「園」の女将は、懸賞金500万円を受け取ったのか? 福田和子の15年に及ぶ逃亡生活から逮捕までの経緯、女将と常連客の協力、懸賞金の行方、そしてその後のおでん屋「園」と女将について詳しく紹介します。

福田和子を警察に通報したおでん屋の女将は、懸賞金を貰ったのか?
1997年7月29日。
全国を騒がせた「松山ホステス殺害事件」の犯人、福田和子が、福井県福井市で逮捕されました。
1982年に愛媛県松山市で同僚のホステスを殺害したとして指名手配されてから、実に約15年。
整形を繰り返し、偽名を使い、全国各地を転々としながら逃亡を続けていた福田和子は、公訴時効成立まで、わずか21日というところで逮捕されたのです。(1年前のきょうのこと)
そして、この逮捕の大きなきっかけとなったのが、福田和子が通っていた福井市のおでん屋「園(その)」でした。
では、福田和子を警察に通報した女将は、懸賞金を受け取ったのでしょうか。
そして、500万円ともいわれる懸賞金を受け取った後、女将はどうなったのでしょうか。
今回は、この疑問について調べてみました。
福田和子「松山ホステス殺害事件」とは
まず、事件の概要から振り返ってみます。
1982年8月19日、愛媛県松山市で、ホステスの安岡厚子さんが殺害されました。
犯人として浮上したのが、同じ店で働いていた福田和子でした。
福田は事件後、逃亡。
その際、まぶたや鼻などを整形し、名前も変えながら全国を転々としました。
逃亡生活は約15年にも及び、その間には石川県の和菓子店などで働くなど、別人のような生活を送っていたことも知られています。(ライブドアニュース)
警察がいくら捜しても見つからない。
顔を変え、名前を変え、住む場所を変える。
そのため、福田和子はいつしか「7つの顔を持つ女」などと呼ばれ、全国的に知られる存在になっていきました。
時効まであと1年、警察が異例の懸賞金
事件から長い年月が過ぎ、福田和子の逮捕ができないまま、時効が迫ってきました。
当時の殺人罪には公訴時効があり、福田の場合、時効まであと1年というところまで迫っていました。
そこで1996年、愛媛県警察は異例の手段に出ます。
逮捕につながる有力な情報を提供した人に100万円の懸賞金を出す。
これは当時、全国的にも異例の試みでした。FNNの取材でも、福田和子事件について「全国で初めて100万円の懸賞金をかけた」と紹介されています。(FNNプライムオンライン)
このニュースによって、福田和子の事件はさらに大きく報道されるようになりました。
テレビでは福田の写真だけでなく、逃亡中に知人へかけた電話の肉声まで放送されました。
その「声」が、後に福井のおでん屋で大きな意味を持つことになります。
懸賞金は500万円に
さらに時効が迫った1997年7月、福田和子が過去に整形手術を受けた病院側から、400万円の懸賞金が追加されました。
病院側は、自分たちが行った整形手術が結果的に福田の逃亡を助けることになったことへの責任を感じ、400万円を提供したとされています。(ライブドアニュース)
これによって、
警察側の100万円+病院側の400万円=500万円
となりました。
つまり、福田和子の逮捕につながる情報には、総額500万円の懸賞金がかけられていたのです。
そして、この直後に福田和子が通っていた、福井市のおでん屋「園」が重要な舞台となります。
福田和子が通っていた「おでん屋・園」
福田和子は、逃亡中に福井市へやってきました。
そして、福井駅近くにあったおでん屋「園」に頻繁に通うようになります。
店では「中村麗子」などと名乗り、女将や常連客と親しくしていました。
長い逃亡生活を送っていた福田にとって、「園」は安心して人と話せる場所だったようです。
後年の取材でも、当時の店の女主人は福田について、
「普通の子だったよ」
と振り返っています。
誰にでも愛想がよく、常連客ともすぐに打ち解けていたといいます。(文春オンライン)
ここが、福田和子の逃亡生活にとって、最後の「居場所」になりました。
「あの声、似ている……」
時効が近づくにつれて、テレビでは福田和子の特集が連日のように放送されました。
その中で流されたのが、福田和子の肉声です。
「危ない、危ない……」
などという福田の声がテレビから繰り返し流れていました。
おでん屋「園」の女将や常連客は、その声を聞いて、
「店に来ている女性と声が似ているのではないか」
と疑い始めます。
FNNの取材でも、福田の逮捕について、決め手となったのはテレビで放送された「あの声」だったと紹介されています。(FNNプライムオンライン)
しかし、ここからが女将のすごいところです。
単純に「この人が福田和子です」と警察に伝えただけではありません。
警察から協力を求められ、福田が触った物から指紋を採取するための協力をすることになりました。
ビール瓶とマラカスが決め手になった
福田が店に来た際、女将は警察からの指示に従って、福田が触った物を保存します。
ビール瓶。
そして、店でカラオケをしていた際に手にしたマラカスなどです。
福田に怪しまれないように、それらを保管して警察に届けました。
その指紋を調べた結果、福田和子本人と一致。
捜査員が店の周辺に張り込み、1997年7月29日、福田が「園」を出たところで身柄を確保しました。(アメーバブログ(アメブロ))
時効成立まで、あと21日。
15年近く続いた逃亡生活は、こうして終わりました。
ところで、女将は500万円をもらったのか?
ここが今回の本題です。
結論から言えば、
はい。懸賞金500万円は、おでん屋「園」の女将や協力した人たちに支払われたとされています。
つまり、
「女将が通報しただけで、結局お金はもらえなかったのでは?」
というわけではありません。
福田和子の逮捕につながった情報提供・捜査協力に対し、懸賞金が支払われたと伝えられています。
複数の後年の資料でも、500万円が「園」側に支払われたとされています。(トレンドニュースディグ)
ただし、ここで注意しておきたいことがあります。
500万円を「女将一人が独占して受け取った」という理解は正確ではありません。
福田を疑って警察に連絡したのは女将だけではなく、常連客も関わっていました。
また、指紋採取などにも協力しています。
そのため、「女将と常連客らに対して500万円が支払われた」と理解するのが適切でしょう。
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500万円は、その後どうなった?
さらに興味深いのは、その後です。
せっかく受け取った500万円。
普通に考えれば、大きな金額です。
しかし、この懸賞金をめぐって、おでん屋「園」には嫌がらせの電話などがあったと伝えられています。
「なぜ通報したのか」
「常連客を警察に売った」
といった趣旨の嫌がらせだったとされます。(Yahoo!知恵袋)
そして、後年の複数の記録では、
女将側は受け取った懸賞金500万円を全額寄付した
と伝えられています。(トレンドニュースディグ)
つまり、
500万円を手に入れて、それで裕福になった
という話ではありません。
むしろ、懸賞金を受け取ったことによって、店側が嫌がらせを受けるという皮肉な結果にもなったとされています。
女将は、その後どうなったのか?
ここについては、意外と詳しい情報が残っていません。
福田和子事件は、逮捕された福田本人については、その後の裁判や服役、2005年の死去まで多くの記録があります。
しかし、福田を通報した「園」の女将については、その後の人生が詳しく報じられているわけではありません。
そのため、
「女将は現在どうしているのか」
「500万円をどこへ寄付したのか」
「その後どんな生活を送ったのか」
については、確実な情報として断定することはできません。
ただ、2019年に取材した文春オンラインの記事では、かつてのおでん屋「園」はすでになくなっていたものの、同じ経営者が近くで小さな飲み屋を営んでいたと紹介されています。
そこで取材を受けた女主人は、福田和子について、
「普通の子だったよ」
と語っています。(文春オンライン)
この取材からすると、少なくとも2019年ごろまでは、女将側の経営者が福井市内で店を営んでいたことが確認できます。
おでん屋「園」はその後、閉店
福田和子の逮捕現場となった「園」は、その後も営業を続けました。
そして、移転を経て営業を続けていたものの、2019年3月31日に閉店したとする記録があります。(アメーバブログ(アメブロ))
つまり、福田和子が最後に通った「園」は、逮捕後すぐに消えてしまったわけではありません。
事件から20年以上にわたって営業を続けていたことになります。
福田和子は、なぜ逃げなかったのか?
もう一つ、この事件で不思議に感じることがあります。
福田和子は、約15年間も警察から逃げ続けました。
顔を変え、名前を変え、仕事を変え、住む場所も変えた。
ところが、時効まであと21日というところで、なぜか福井のおでん屋「園」に通い続けました。
しかも、女将たちが自分を疑っていることを、福田自身も感じていたとされています。
逮捕前日には、
「ママは最近テレビでやってる人に私が似てると思ってるんじゃないの」
という趣旨の発言までしていたと、後の取材で伝えられています。(文春オンライン)
それでも福田は店に来た。
そして翌日も来た。
結果として、その店を出たところで逮捕されました。
15年間、逃げ続けてきた人間が、最後の最後に「人とのつながり」を求めてしまった。
この点こそ、福田和子という人物を考える上で、非常に印象的な部分ではないでしょうか。
「500万円のために通報した女将」ではなかった
福田和子事件を振り返ると、
「懸賞金500万円があったから女将が通報した」
という印象を持ってしまうかもしれません。
しかし、実際の経緯を見ると、そう単純ではありません。
テレビで流れた声を聞き、
「いつも店に来るあの女性と似ている」
と疑った。
そして警察に相談し、指紋を確認するために協力した。
その結果、15年間逃亡していた福田和子の身元が確認され、逮捕につながったのです。
そして、懸賞金については、女将と常連客らに500万円が支払われたとされています。
ところが、そのお金を自分たちのために使うのではなく、全額を寄付したという後日談が残っています。
この点は、福田和子事件の中でも、あまり知られていない話ではないでしょうか。
まとめ
福田和子は、1982年に起きた松山ホステス殺害事件の後、約15年間にわたって逃亡しました。
時効が迫ると、愛媛県警は逮捕につながる情報に100万円の懸賞金を設定。
さらに整形手術を行った病院側が400万円を提供し、懸賞金は総額500万円になりました。(ライブドアニュース)
そして最後に福田和子を追い詰めたのが、福井市のおでん屋「園」。
女将と常連客らがテレビで流れた福田の声から本人ではないかと疑い、警察に協力。
福田が触ったビール瓶などから指紋が確認され、1997年7月29日、時効成立21日前に逮捕されました。(1年前のきょうのこと)
そして、気になる懸賞金500万円は、女将や協力した人たちに支払われたとされています。
さらに、その500万円は全額寄付されたと伝えられています。
その後も「園」は営業を続け、2019年に閉店。
女将については、2019年の取材で同じ経営者が近くで小さな飲み屋を営んでいたことが確認されていますが、その後の詳しい消息については、公に確認できる情報は限られています。(文春オンライン)
15年間逃げ続けた福田和子。
その最後の逃亡先となった福井のおでん屋「園」。
そして、彼女を警察に通報した女将。
「500万円の懸賞金は、本当に女将の手に渡ったのか?」
その答えは、**「はい。支払われたとされている」**です。
しかし、その500万円を自分のために使ったのではなく、全額寄付したという後日談には、事件のもう一つの側面が感じられます。
犯罪史に残る逃亡劇の最後にあったのは、意外にも一軒の小さなおでん屋と、そこで生まれた人と人とのつながりだったのかもしれません。
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