私が、子供の頃に観た映画のワンシーンをたまに思い出すことがあります。
それは、大人の外国人と一緒に、子供が裸でパンを食べながら、アルミのカップで何か飲んでたシーンです。
それを見て私は、大人の外国人に服を取られて逃げられないようにされてると理解していました。
そしてその映画が字幕だったということと子供が自分の父親を探しに外国へ行くという話だったような事を覚えているだけです。
しかしその映画のタイトルが思い出せません。
この映画にまつわる謎は、私はこの映画を父と観に行ったのだろうかということです。
もし父と観に行ったとしたら 字幕の映画に子供を連れて行くだろうかということです。
そして最近この映画の手がかりがつかめました。
きっかけは、ブロ友さんのまあくんさんが、Facebookで昭和40年、初めて観に行った怪獣映画の記事を書かれていた事からです。
そのときに 私も一番最初に観た映画は、何だったろうと考えてみると東映で観た「ガメラ対ギャオス」か 菊美ど里劇場で観た「大巨獣ガッパ」この2本です。
「ガメラ対ギャオス」は、父に連れられて観に行ったような気がします。
そして「大巨獣ガッパ」は、従兄とおじさんとで観に行って映画館の二階席から観た記憶が有ります。
そしてどっちが、先だったかを調べてみるとどちらも上映は、昭和42年(1967年)でしたが、「ガメラ対ギャオス」の方が、1ヶ月早く上映されていたようです。
そしてこれを調べたことで子供の頃に観た映画のワンシーンの謎のヒントがつかめました。
それは、「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」と同時上映されていた映画があったからです。
その同時上映された映画が、「小さい逃亡者」という映画でした。
この映画について調べてみるとあらすじが、
孤児だった川間健は父がモスクワで生存しているという話しを聞きます。そのころ日本に来ていたサーカス団の道化師ユーリー・ニクーリンと出会いソ連行きを決意しソ連船籍に密航します。やがて極東の港湾都市ナホトカに到着して西へと向かいソ連各地で様々な個性的な人物と意気投合し、別れを惜しみながら西へ旅を続けるます。そしてレニングラードに到着してニクーリンと再会を果たし健はのちに衝撃的な事実に直面します。
という内容でした。
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【▲上記の記事からの続き▼】
このストーリーが、わかり私が、子供の頃に観た映画のワンシーンしか覚えていない映画は、たぶんこの映画だと思いました。
そして子供の頃に「ガメラ対ギャオス」を観てそれと同時上映されていた「小さい逃亡者」を観たと考えればつじつまがあいます。
そこでそれを確認するためにAmazonで「小さい逃亡者」のDVDと他2本(ボクは五才・手をつなぐ子等)を購入しました。
その3本のDVDをFacebookにアップすると まーきみ。さんから「小さい逃亡者」についてのコメントを頂き私が、記憶していたワンシーンを まーきみ。さんも覚ておられこれで さらにこの映画だった事を確信しました。
そして「小さい逃亡者」のDVDを観て長年の謎が解けました。
子供の頃に観た映画のワンシーンが、この「小さい逃亡者」で確認できました。
そして子供の頃にそのワンシーンを見て私は、外国人に服を取られて逃げられないようにされてると理解していましたが、それは誤った理解だったという事もわかりました。
映画を 観ていて思いだしたシーンもありました。
ソ連船籍に密航するためにいっぱいコンテナが、積まれた港で 主人公の少年と女の子が、会ってるシーンとそして外国の病院で少年のお父さんらしき人と対面するシーンを思い出しました。
しかしほとんどの内容は、私の記憶から抜け落ちていました。
この映画が、上映された年代を見ると私が5歳の頃です。
当時私は、ちゃんとこの映画を飽きずに観ていられたのかなとそんな事を思いました。
しかしいくつかのシーンを覚えているという事は、ちゃんと観てたのでしょうね。
「小さい逃亡者」は「地獄門」でカンヌ国際映画祭最高賞パルムドール賞受賞した衣笠貞之助が歴史上初のソビエト連邦との合作映画をエドワールド・ボチャロフと監督した1966年の作品で、宇津井健、京マチ子、船越 英二、宇野重吉、ユーリー・ニクーリンが出演していて俳優陣は豪華です。
「小さい逃亡者」の映画設定や筋立てには少々無理がありますが、舞台が日本からソ連に移ってからのシーンでは、ナホトカ、ハバロフスク、イルクーツク、サマルカンド(当時はソ連領)、レニングラード(現サンクトペテルブルク)、モスクワ、シベリア鉄道、タイガ、木材輸送の巨大筏(筏の上で生活しながら川を下る)など、当時、鉄のカーテンに遮られていた向こうの情景がふんだんに登場するので、現在ならこれらのロケーションには一見の価値があるります。