「朝鮮戦争」タグアーカイブ

バイデン氏、ウクライナへの米軍派遣「検討する」と言っていたらロシアはどうしただろうか?

【スポンサーリンク】

LINEで送る
Pocket

ロシアが、ウクライナに侵攻する前にバイデン大統領が「もしウクライナへ侵攻すれば米軍派遣をする」言っていたらロシアは、ウクライナへの侵攻は、しなかったのだろうか?

とそんな事を考えてしまします。

アメリカとしては、ウクライナと同盟関係ではないしNATO加盟国でもないので米軍を派遣する義務はありません。

但しウクライナが、核を放棄する際に交わしたブタペスト覚書には、アメリカ、イギリス、ロシアは、ウクライナの安全を保障する事が書かれてありました。

なのでウクライナとしたら米軍を派遣してくれるものだと思っていたようです。

この事で 朝鮮戦争の事を思い出しました。

1950年1月12日、アメリカ政府のディーン・アチソン国務長官が、「アメリカが責任を持つ防衛ラインは、フィリピン – 沖縄 – 日本 – アリューシャン列島までである。それ以外の地域は責任を持たない」と発言しました。

台湾、インドシナそして朝鮮半島には言及がありませんでした。

このディーン・アチソン国務長官の発言が、朝鮮戦争を引き起こすきっかけとなりました。

今回のバイデン大統領と同じですね。

これは、台湾や朝鮮半島は地政学上大陸と大洋の境界に位置していることや、長く日本の統治下にあったこともあって、判断が難しい地域でもありまたアチソンは、広く知られる上記の発言のあと「アメリカの安全保障に関するかぎり」(ここでアチソンが台湾と韓国を明らかに考えていた)「これらの地域への軍事的攻撃について何らかの保障ができる者はいない。そのような攻撃が行われた際には、最初は攻撃された人々に頼るしかないのだ。」と続け、彼らが断固として戦うならば国連憲章に基づき国連の裁定に訴えることができるだろうと、最後を曖昧に結んだようです。

中国大陸が共産化しても台湾不介入声明まで出したトルーマン政権の対中政策を観察していた金日成は、朝鮮半島にもこれを当てはめて「アメリカによる西側陣営の南半部(韓国)放棄」を推察したという事です。

これらの状況の変化を受け、1949年3月にソ連を訪問して改めて開戦許可を求めた金日成と朴憲永は、韓国への侵攻をはやり、「南朝鮮には今もアメリカ軍がいます。ソビエトの援助が必要です」と支援を要請します。

しかし、スターリンは「援助はできる。だが今は、用心する必要がある」と慎重な姿勢を見せました。

【▼記事は、下記に続く】

スポンサーリンク


【▲上記の記事からの続き▼】

スターリンは、当時唯一の核保有国だったアメリカとの全面戦争を恐れていました。

しかし、諦めきれない金日成は「もし今、攻撃を行わなければ、私は朝鮮人民の信頼と支持を失うばかりか、祖国統一のチャンスまで逃してしまいます。我が軍は2週間、長くても2か月以内に朝鮮全土を制圧することができます」とソ連に繰り返し支援を要請し続けました。

金日成の要求に応じなかったスターリンでしたが、会談の1年後に態度が豹変し、戦争に前のめりとなるスターリンの電報には「このような大事業には、大がかりな準備が必要だ。助ける用意はできている」とありました。

スターリンが戦争に前のめりとなった理由は、ソ連が1949年8月に原子爆弾の開発に成功し、核保有国となったことで、アメリカに対抗する自信を深めたことが大きかった様です。

もしソ連が、原子爆弾の開発ができていなければ朝鮮戦争は、起こらなったかもしれませんね。

今回のロシアによるウクライナ侵攻で 米国や北大西洋条約機構(NATO)がウクライナに直接介入しない姿勢を表明していることに、日本とウクライナをだぶらせて見ている日本人も多いのではないでしょうか。

もし日本へ核を持った何処かの国から攻撃を受けたらアメリカは、本当に助けてくれるのだろか?

今回のウクライナの様子を見てそういう心配の現われが、核共有論の話となっているのだと思います。

今回のロシアのウクライナ侵攻でわかった事は、核を持ってる国は、核を持っていない国としか戦争をしない!

と言う事ですね!

 

 

LINEで送る
Pocket

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ にほんブログ村 美容ブログ 理容室・床屋へ

スポンサーリンク
スポンサーリンク