facebookのお友達の河野さんより 「河野善福物語(上)(中)(下)」という自分史3冊が先月8月に送られてきました。
それを読みながら 私が、もし自分史を書くとしたらどんなエピソードがあるかなと思い起こしてみました。
今日は、私が経験した高校時代のエピソードを記事にしてみました。
私は、高校時代「宇和島水産高等学校 製造科」へ通って居たのですが、ある秘密がありました。
水産高校へ行きながら 別の学校にも入学していたのです。
私の父は、二代目の理容師で家は、お祖父さんの代から理容店を営んでいました。
中学生の頃は、父には「後は継がんけん!」と言っていましたが、高校へ入り1年生の時に将来の事を 考えるとサラリーマンには、向かないと自分でも自覚があり 色々考えるとやはり親の後を継ぐのが良いのかな!と思い 理容師を目指す事になりました。
そこで松山市にある 小栗の愛媛県理美容専門学校通信教育課へ入学をしました。
私の時代は、中学卒業で 理美容専門学校へ入学出来てましたが、今は高校を卒業しないと理美容専門学校へは、入学できなくなっています。
そして高校から帰ると 家の理容店の手伝いをしていました。
通信教育の場合は、学校へは通わなくていい代わりに 2年間毎月レポートとテストが、送られてきてそれをして そのレポートとテストを 学校へ送り夏休みに2週間だったかその期間理美容学校へ通うというスクーリングがありました。
水産高校では、4級小型船舶の免許を取れたのですが、ちょうどスクーリングの時期と重なって 残念ながら小型船舶の免許は、取る事が出来ませんでした。
その時に取っていたら3万円で取れていましたが、今取ったら10万円はかかるんじゃないでしょうか!
その代り私は、水産製造科でしたので2級ボイラー技士の免許を取る事が出来ました。今となっては役には立っていませんが(^^;)
話は戻りますが、水産高校へ通いながら 理美容学校に籍を置いて居た事が、水産高校に知られる事となり職員会議に掛けられる事になりました。
当時私としては、二重学籍がマズイ事という気持ちは、まったくなく 親が先生に話ていて先生も知ってるモノだと思っていました。
職員会議の結果最終的には、校長先生の判断で了承を頂け何事もなく今まで通り水産高校へ通える事になり卒業するときには、「努力賞」を頂きました。
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【▲上記の記事からの続き▼】
水産高校を卒業すると同時に 愛媛県理美容専門学校も無事卒業する事ができました。
水産高校を卒業して松山の理容店に就職して働くようになりました。
私の時代は、理美容学校を 卒業すると1年間理容店で インターン(実施修練)を行うと 国家試験を受ける資格が出来ます。
国家試験は、筆記試験を受けて合格すると 次に実技の試験が受けられるシステムでした。
だから実技は、バリバリで出来るのに 筆記試験が合格できない為に免許を貰えないという人もいました。
過去を思い起こすと 私も自分史に書けそうな普通の人では、あまり経験しない様なエピソードがあります。
タイトルにするとこんな感じかな!
「父が、叔父の保証を被る」
「我が家を競売で取られる」
「競売前に脅迫電話」
「電気の無い生活」
「夜逃げの手伝い」
「高利貸しとの話し合い」
「24歳で家を建てる」
といった記憶が、次々とよみがえってきました。(^^;)