日本国憲法が制定されたときの国会での反対演説で、共産党トップで議長を24年間も務められた野坂参三 氏の演説内容です。
『われわれは民族の独立をあくまでも維持しなければならない。日本共産党は一切を犠牲にして、わが民族の独立と繁栄のために奮闘する決意をもっているのであります。要するに当憲法第二章(第九条)は、わが国が自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある。それゆえにわが党は民族独立のためにこの憲法に反対しなければならない』。
と現行憲法に反対した唯一の政党が、日本共産党でした。
そして特に9条が日本を滅ぼしてしまうとまで言っていたのです。
今の共産党とは180度違う事を述べているので なんか嘘のような信じられない話ですよね!
でも事実なんですよね!
第91回帝国議会 衆議院 本会議 第11号 昭和21年12月17日145 野坂參三
発言URLを表示 ○野坂參三君(續) 常に政府が積極的に、みずからの意思によつてやつた例というものは、ただの一つもない。やむなく、しぶしぶこれをやつたに過ぎない。從つて保守反動勢力は依然としてわが國の社會の中に温存されている。これがすなわちわが國の民主主義化をあらゆる方法によつて妨害している。それだけではない。(發言する者多し)それだけではない。單に吉田内閣が公職追放者をみずから進んで追放しなかつたばかりではない。この内閣自身の中に、それの重大なる嫌疑者を潛めている。この内閣には暗い陰がある。このような内閣に、はたして全的な信頼をもち得るであろうか。世界の輿論は既にこの内閣を信頼しないことを明らかに表明している。(拍手)また憲法第九條――御存じのように、ここには戰爭放棄ということが規定されている。われわれは侵略戰爭には絶對反對である。しかしながらこの第九條の討論の中においてはつきりしたことは、すなわち自衞權をわが國が棄てたということである。自衞權がないわが國の民族、これの獨立さえ棄てよということが、この條項の中にはいつている。われわれ共産黨はこれに對して徹底的に反對した。一體なぜこのような條項が必要であろうか。すなわち日本の支配階級に對する世界の信頼がないということ、ただ一つに基づいている。とにかく諸君も知つておる通りに、日本の同盟國であつた所のイタリー、この軸心國も、日本と同じような運命を辿つた軸心國であり、同時に敗戰國である。しかしこのイタリー、これは自衞權をもつているではないか。なぜ日本だけがこれを失わなければならないか。その理由は‥‥‥ 〔發言する者多し〕PDF.14
|
日本共産党のホームページには、「ブレない党の基礎―綱領」とあり「綱領」をみると
|
と書かれています。
ぶれない党ねぇ?
そして日本共産党のホームページには、「憲法9条まもろう」とも書かれていました!
日本国憲法が制定されたときは、
スポンサーリンク
【▲上記の記事からの続き▼】
憲法第二章(第九条)は、わが国が自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある。それゆえにわが党は民族独立のためにこの憲法に反対しなければならない』。
と 言っていたのに当時と今では、180度ぶれてますね!
いったいなぜ180度もぶれてしまったのでしょうかね?
野坂参三さんは、ソ連のスパイだったという事です。
議員引退後には、1970年代から書きついで来た自叙伝『風雪のあゆみ』(1989年、コミンテルン第7回大会のころまでのことを書いている)を完成させ、1992年には生誕100年ということで、黒柳徹子との親交から「徹子の部屋」にも出演したり、NHK教育テレビジョンで特集が組まれたこともあった。
しかし、その直後の『週刊文春』9-11月の連載が元となり、調査の結果ソ連のスパイだったとして、1992年に日本共産党名誉議長を解任された。さらにその後の中央委員会総会において、日本共産党からの除名処分が決定された。これはソビエト連邦の崩壊後、公文書が情報公開され、野坂が戦中にアメリカ合衆国からコミンテルンのディミトロフに送った手紙が明らかになったことによる。野坂は、ソ連にいた日本人同志の山本懸蔵(1895-1939年)ら数名をNKVDに讒言密告し、この結果山本はスターリンによる大粛清の犠牲となったのである。名誉議長解任時は高齢であることを配慮して、日本共産党からの年金支給が続けられたが、除名処分に伴い年金も打ち切られた。 野坂は「残念ながら事実なのでこの処分を認めざるを得ない」と述べた以外はこの件について語らず、1993年11月14日に死去した。参議院では慣例に従い、永年在職議員表彰者であった野坂に弔詞を贈呈したが、日本共産党はこれに反発し、弔詞の議決とその朗読の間は参議院本会議を欠席した。 ウィキペディアより |
ソ連から憲法9条を守れという 工作をしろという命令が、野坂参三氏の元へきたのでしょうかね?