2015年4月に 宇和島の旧町名「龍華前」の名称碑をを尋ねてみた事がありました。
昔は、龍華前の橋の手前までバスが来ていました。
この場所が、バスの休憩場所にもなっていた様なイメージがあります。
龍華山の橋の手前は、広くなっているのでで車掌さんが、バスから降りて笛で誘導してバスの方向転換をしている光景を 子供の頃に見ていました。
ここ「龍華前」の名称碑は、2012年までは、名称碑が建てられていましたが、2015年には、ちょうどこの碑が建てられている場所に家が建つという事で この碑はいったん撤去され移転場所が、決まるまで今は、市役所の方で保管されいるという事でした。
画像提供:「気功的整体師の奮戦記」まーきみ。さんより
画像提供:「気功的整体師の奮戦記」まーきみ。さんより
撤去されて3年たっても移設場所が、決まっていないという事は、なかなか難航している様でした(^^;)a
そして 今週21日の月曜日に市役所に問い合わせると「龍華前」の碑は、龍華橋のたもとに移設したということでした。
それを聞いたので 早速撮影に行ってみました。
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【▲上記の記事からの続き▼】
この「龍華前」の呼び名は、龍華山等覚寺の門前にあたることが町名の由来で 旧藩時代には、下士層(御小人組)などが、居住 した町であったようです。古くは、「龍華前通」ともいわれていました。
御小人組とは、ウィキペディアによると「江戸城中の女中や奥役人が出入りする際の供奉や玄関・中之口などの警備、御使や物品の運搬などを職務とした者。単に小人とも呼ばれる。」なのでそういう仕事をしていた人を指すのでしょうね。
Facebookのお友達の佐々木 正弘さんからのコメントです。
宇和島高等女学校の同窓生名簿にも、御小人町がありました。戦前
テキストの画像のようです
Facebookのお友達のHideki Wansa Kajiwaraさんからのコメントです。
昔は市内バスの終点のひとつでしたねっ(^o^)
Facebookのお友達の高橋 真慈さんからのコメントです。
この橋が3本に見えて真ん中の橋を渡った人が川に落ちて血だらけで帰った事がありました!あの石垣を登ったらしい、タヌキに化かされたという話になってました!
Facebookのお友達の松本敏幸さんからのコメントです。
商工観光課はこれまで再々掲示物ミスをしてますから、文化スポーツ課でお墨付きをもらわせる必要がありますね。