伊達家墓所〜龍華山編4

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ホントなら次は、初代藩主秀宗ひでむねの話になるのですが、秀宗ひでむねの話は最後と致します。

では、西墓所から東墓所へと移ります。

【42】東墓所山門

こちらの門を潜り 東墓所へ入ります。

【23】2015-02-08 014

【41】道

梅の花が、咲いています。

【40】道

【39】道

桃色の花がとても綺麗です。

【38】梅の花

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まずは、2代宇和島藩主宗利むねとしは、初代藩主・伊達秀宗だて ひでむねの三男で母は浅井氏ですから側室の子となります。

正室せいしつ松平光長まつだいら みつながの娘・大通院(稲姫)です。

【24】2代宗利2代宗利

寛永16年(1639年)2月15日に元服げんぷくしています。長兄の宗実むねざねが病弱のため嫡子ちゃくしし、次兄の宗時むねときが父に先立って死去したため、明暦めいれき3年(1657年)7月21日、父の隠居により家督かとくを継ぎます。

寛文かんぶん10年(1670年)から八十島親隆やそしまちかたかを検地奉行として検地制度や村役人制度を確立し、元禄げんろく元年(1688年)には紙専売制度も実施するなどして藩政の基盤を固めましたがしかし藩主の居殿である浜屋敷の造営、宇和島城の大改修など出費も相次ぎ、藩財政は苦しかったようです。

【25】2代宗利2代宗利

本家の仙台藩で伊達騒動だてそうどうが起こったときには、今村善太夫いまむらぜんだゆうら罪人を預かっています。

元禄げんろく6年(1693年)11月14日、家督かとく養嗣子ようしし娘婿むすめむこ宗贇むねよしに譲って隠居いんきょし、宝永ほうえい5年(1708年)12月21日に75歳で死去しています。法号は天梁院殿賢山紹徳大居士です。

今日の「宇和島の散歩道」は、「伊達家墓所〜龍華山編4」のお話でした。

愛媛県宇和島市野川甲1157
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