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Facebookのお友達の沖良英さんから宇和島の古い写真を提供して頂きましたのでご紹介させていただきます。
写真をクリックすると拡大して見られます。
この写真は、昭和30年頃?の左側が柳の木がシンボルの木屋旅館ですね。
そして正面の柳の木の後ろが、伊賀屋陶器店だと思います。その右隣りは、私が物心ついた時は、「さつきタクシー」でしたが、この写真では何か様子が違う様な気がします。そしてそのまた右隣りの角のお店は、何屋さんでしょうか?写真を見るとお店の名前が、「〇村」と見えますがちょっと読めません。
facebookのお友達の正宏岡さんからの情報で 「〇村」は、薬局の松村です。とのコメントを頂きました。
そしてfacebookのお友達の高橋 真慈からは、松村は漢方薬で南天、亀甲とかありましたよ、私はゴムカンのゴムを買ってましたよ!三角屋敷は山内商店というコメントを頂きました。
私が物心ついた時は その角店は駄菓子屋さんで 三角屋敷と言っていました。
この写真には写っていませんが、伊賀屋陶器店の左隣は、清水の唐饅で有名だった「清水閑一郎本舗」になりますね。
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そしてこの下の写真も木屋旅館ですが、年代は、明治末から大正初のようです。
この下の写真もそのくらいの年代の宇和島の闘牛です。この頃は、和霊様に闘牛所がありました。
これは、天赦園の池の藤の花ですね。昭和何年頃だろう?
今日の「宇和島の散歩道」は、宇和島の古い写真その2のお話でした。
※宇和島の昭和時代の写真をお持ちでご提供頂ける方がおられましたら「宇和島の散歩道」でご紹介させて頂きます。
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伊賀屋、ありましたねぇ…盆栽が趣味だった父が鉢を
購入していました。
松村も煎じ薬買っていたなぁ…
このアングルの写真は初めて見ました。
木屋旅館前の柳はおもいっきり通りに
せり出していたのですね!
黒弓さんへ
木屋旅館前の柳は、あらためて見るとかなりせり出していますね。
これじゃ バスが通るのに邪魔になりますね。(^^;)
お初~~、清水の唐饅頭や、親父のいとこだったそうです。今でも家には空箱が・・・
ちなみにおふくろの親父は昔々三島神社の宮総代で、山際に引っ越しても「石や」をやってたそうです。
アラナインのおふくろが昔のことを懐かしんでますよ・・・
Oichan さんへ
清水の唐饅頭やさんは、Oichan さんのお父さんのいとこだったんですね。
お母さんのお父さんは、三島神社の宮総代をされていたんですね。
私の父も三島神社の氏子総代をやっていました。
氏子総代もあと引き受けてがなかなかないので探すのが大変みたいですね。
Oichan さんは、昭和時代の宇和島の写真は、お持ちでないでしょうか?
もし有る様でしたら提供いただけましたら宇和島の散歩道で紹介させて頂きます。(^^)
コメントありがとうございました。
村松薬局