宇和島旧町名 鋸町

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今日は、宇和島の旧町名「鋸町おがまち」の名称碑です。

名称碑と背景

今は、左側が愛宕町で右側が宇和津町です。
ここを真っ直ぐ下りて行くと 駅前通りに出ます。

名称碑右方向

そしてこちらは、真直ぐ突当りが一宮様(宇和津彦神社)になります。
ここからちょっと行った右側に 鋸町おがまちポンプ場があります。

名称碑 左方向

名称碑 

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鋸町おがまちの名前の由来は、下士層かしそう(鉄砲組)などが居住し、既に鋸町おがまちとよばれていたそうです。以前は、木挽職人こびきしょくにんが多く彼らが使用する「のこ」大鋸おがが、由来するとも大鋸屑おがくずが、山積みされていたのでこの名前が付いたとも言われているそうです。

ちなみに木挽職人こびきしょくにんとは、今でいう製材作業者をいいます。

名称碑 説明文

名称碑 範囲地図

今日の「宇和島の散歩道」は、「宇和島旧町名 鋸町おがまち」のお話でした。

[宇和島市「鋸町」名称碑設置場所地図 Simple Map]

愛媛県宇和島市愛宕町2丁目1-22

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「宇和島旧町名 鋸町」への0件のフィードバック

  1. 懐かしい、この石碑から家の前まで50メートル走る練習をしてました、庭では棒高跳びの練習、座敷では相撲の練習してました。左右に立派な門構えの家がある通りです。殿様が墓参りに行く通りのはずです。子供の頃は夕方、馬が丸太を運んでました。スピッツに残飯を運ばせるフランダースの犬みたいなのもいました、トイレの汲み取りも、お百姓さんが来て汲んで帰って、お礼に野菜を持ってきてくれました。よい時代でしたよ。

    1. 高橋真慈さんへ
      小学生の頃に愛護会のクリスマス会だったか寺子屋であって一度高橋さんの家に上がった記憶があります。
      子供の頃は、馬が荷物を引いて歩いてましたね。よく道路に馬のフンが落ちてたりもしました。
      うちは、トイレはバキュームカーが来てましたが、山の畑には肥えたぼがありましたね。(^^;)

      1. うちは座敷が広かったので公民館がわりに使ってました、トイレは色々な人が使うと食事が片寄らないから栄養豊富で野菜が良く育つらしいです。一度入口の門構えのところで、 かやされてバキュームカーにしました、看板も門も凄い臭いでしたよ。まいった、小さい頃はたくさん鶏も飼ってました。

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