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昨日の続きです。
愛宕山へ登る中腹ほどに芭蕉の句碑へ案内する看板が立っていました。
せっかくここまで来たのですから 芭蕉の句碑を見てみる事にしました。
私が、子供の頃はこんなのは無かったと思いますし 20歳の時に登った時も気が付きませんでした。
いつ頃できたのかな?
とりあえず下の方へ下りてみます。
ここからは、動画にて御覧ください。
すみません。なんて書いてあるのか読めません(^^;)
するとFacebookのお友達が、教えてくれました。
「志者らく盤花の上那類月夜哉」(しばらくははなのうえなるつきよかな)
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建立年 明治40年
建立者 芭蕉会
「しばらくは花の上なる月夜哉(つきよかな)」
平成5年4月3日に宇和島南ロータリークラブが、立てた句碑のようですね。
でもなぜ芭蕉の句碑が、この宇和島に立ってるんでしょうか?
調べてみると芭蕉の母は宇和島出身だそうです。
初めて知りました!
芭蕉の母親は藩侯の移封とともに伊賀名張に移ってきた桃地氏の娘と言われ、父と同様一定の格式をもった家の娘であったったそうで二男四女をもうけ、芭蕉は次男。天和3年(1683)芭蕉40歳の6月20日に死没。松尾家の菩提寺上野農人町の愛染院に葬られているそうです。
芭蕉の門人服部土芳は伊勢国津藩士。『芭蕉翁全伝』で「母は伊与国宇和島産、桃地氏女」と記してあり愛媛県から三重県に移ったのは、藩主藤堂高虎が宇和島から伊賀上野に移動したことによるそうです。
今日の「宇和島の散歩道」は、「愛宕山の芭蕉の句碑!」のお話でした。
[宇和島市愛宕公園地図 Simple Map]
愛媛県宇和島市愛宕公園
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