昭和32年頃の宇和島の衣料・呉服店

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今日は、昭和32年宇和島商工名鑑に記載されている衣料・呉服販売業をご紹介します。

衣料・呉服店となると私もよくわかりませんが、Facebookでお友達になっているお店も2軒掲載されていますね。

「丸三洋品店」と「マルオー洋品店」さんのお店です。

マルオー洋品店さんとこは、昭和32年頃は、有限会社マルオー呉服店だったんですね。

袋町2丁目に大平呉服店というのもありますが、こことは関係がないのでしょうか?

こうやって名簿を見てると 昭和32年宇和島の衣料・呉服店って多かったんですね。

その中で目にとまったのが、20歳の時にブレザーを買ったお店は、たしか恵美須町の三浦屋だったですね。

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あと辻洋品店でも何か買った事がある様な!何を買ったんだったかなぁ?

カシミヤのセーターだったかなぁ?

 

1957年の宇和島商工名鑑 マルオー洋品店
画像:まーきみ。さん提供
衣料・呉服店1 丸三洋品店
衣料・呉服店2
※(裏地)タムラ裏地店 横新町 ※三浦屋 恵美須町 ※(洋品・雑貨)サービス屋衣料店 横新町57
衣料・呉服店3
※(呉服)合名会社 赤松呉服店 袋町93 ※(呉服)赤松呉服支店 袋町47 ※(衣料)佐野喜商店 竪新町16
衣料・呉服店4
画像:宇和島商工会議所「1957年の宇和島商工名鑑」より のうみんさん提供

今日の「宇和島の散歩道」は、「昭和32年頃の宇和島の衣料・呉服店」のお話でした。

[宇和島市レディースマルオー地図 Simple Map]

愛媛県宇和島市レディースマルオー

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「昭和32年頃の宇和島の衣料・呉服店」への0件のフィードバック

    1. まーきみ。さんへ
      そうなんですか。
      「保木口」なんとお読みするんですか?
      隣の「株式会社 丸串」も代表者が同じ苗字ですね。下の名前は、違いますが!

  1. 保木口、「ほきぐち」同級生の女子におりました。商店街の店の子やった。

    1. なんかんさんへ
      保木口、「ほきぐち」と読むのですか。
      その同級生の女の子は、「ひつじや」さんの娘さんですか?

  2. 金剛山に保木口という凄く大きいお墓があった記憶があります。金剛山の毎巌和尚、仏海寺の大用国師の石碑ぐらいの大きさだったような

          1. 普通の人の、お墓が大きいだけだったかも、目黒にある苗字だった気がしたので

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