私が、幼稚園のときは愛宕町の借家から京町にある鶴城幼稚園に通っていました。
家から鶴城幼稚園までは、そう遠くなく幼稚園に向かう途中に大正ロマンを感じさせるモダンな洋館建ての樋口虎若邸がありました。
この建物は、樋口虎若氏が、大正15年(1926)隠居する為に この地に建てたということです。
私が、当時印象に残っていたのは樋口邸の塀のデザインでした。
赤いレンガがアール状にデザインされていて それが妙に印象に残っています。
下の白黒の写真は私が、鶴城幼稚園に通ってる頃幼馴染みと一緒に写ってる写真です。
昭和41年前後くらいでしょうか?後ろに 樋口邸の塀が写っています。
樋口邸は、今も残っているのかなと見に行ってみると
今も健在でした。
樋口邸の右側には、鶴城幼稚園の屋根がみえますね。
鶴城幼稚園の十字架の屋根も昔のままですね。
まだ愛宕町で営業している頃は、樋口さんも散髪に来て頂いていまいました。
虎若さんは、私が生まれる前に亡くなられていますので息子さんになるのかな?
うちが、長堀に移転しても 京町から長堀まで 今から17年前まではご来店頂いていました。
「樋口虎若」さんといってもあまりピンと来ないと思いますので この洋館を建てられた「樋口虎若」さんについてちょっと経歴をご紹介します。
樋口 虎若 (ひぐち とらわか)
明治5年~昭和33年(1872~1958) 医師、宇和島市長
明治5年11月10日、宇和郡吉田東小路(現宇和島市吉田町)で樋口直康の長男に生まれた。明治27年第三高等学校を卒業して医師業免状を受け、同28年陸軍軍医となり、同33年2月宇和島広小路に豪壮な医院を建て、開業した。明治37年2月、陸軍軍医大尉に昇進、県医師会理事を経て大正9年副会長に推された。
大正3年以来、宇和島町会・市会議員・北宇和郡会議員になり、昭和13年7月宇和島市長に就任したが、同14年5月政党の対立抗争を嫌って退任した。昭和33年6月4日、85歳で没した。
(参考・愛媛県生涯学習センター資料)
広小路界隈には、このような洋館建てのモダンな建物が何軒か建っていましたが取り壊されましたので この洋館はこのまま残して頂けると良いなとそんな事を勝手に思ったしだいです。
今日の「宇和島の散歩道」は、「樋口虎若邸」のお話でした。
[宇和島市京町地図 Simple Map]