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7代藩主 宗紀の墓所に向かっています。
お〜着きました!雰囲気ありますね。
墓所は、奥の方になるんですね。
宗紀(寛政4年9月16日(1792年10月31日)? - 明治22年(1889年11月25日))は、伊予国宇和島藩の第7代藩主です。
上の年代を差引すると宗紀さんは、97歳で明治まで生きられていたんですね。
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この時代では、珍しく物凄く長生きされたんですね。
今の時代でもなかなかこの歳までは長生きできないと思いますけどね。
調べてみると宗紀の年齢は、実際は100歳以上ではなかったのかとも言われているそうです。
若いころは酒豪で鳴らしたそうですが、晩年には酒量を控えるようになり 現代のボケ防止にも通じる朝晩の散歩や長続きしやすい趣味の書道などを長年の日課としたそうです。
老いによる難聴になった以外は体の不調もなく、自分よりはるかに年下の者が苦労するほどの急な階段も楽に上り下りできたと言われているそです。
側近の者が「侯の長寿の秘訣は何でございますか」と問うたところ
「それは女色を慎むことにある」と答えたため、
重ねて「侯におかせられましては何歳から女色を慎まれましたか」と質問すると
おおらかに「70歳じゃ」(75歳、80歳とする場合も)と言った、という逸話があるそうです。(笑)
今日の「宇和島の散歩道」は、「伊達家墓所〜金剛山編2」のお話でした。
愛媛県宇和島市金剛山大隆寺
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