日別アーカイブ: 2015年3月7日

宇和島城・城山公園

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ようやく城山の児童公園に到着しました。

一般的には、児童公園とは言わずに城山公園というのが一般的のようです。

地図にも城山公園となっていますからね。

右側の柵の中が、配水池で左側が公園です。

【1】城山配水池

公園に入ってみました。

【8】昔は、向こうの方いやもうちょっと右側の方だったかな?マンドリルやタヌキを飼ってた檻がありました。公園正面

【9】ご老人の方達が、ゲートボールをされていました。公園左側

【2】向こうの方に石碑が見えます。何の石碑でしょうか?コッフ石碑遠く

【3】コッフと書いてあるのが読めます。コッフ石碑近く

【4】すみません。歌はよめません(^^;)コッフ石碑アップ

中井コッフの歌碑で説明書きに歌が書いてありました。
コッフという人は、宇和島の小児科医の医師で昭和37年、私の生まれた年に亡くなられているんですね。

実は、私が昔住んでいた近く愛宕町3丁目に昔病院だったという中井という赤っぽい塀のある家がありましたが、そこが中井コッフの家だったのかな?

【5】コッフ石碑説明書き

コッフという名前は、かすかに聞き覚えはありましたが、宇和島の人でどんな人だったか全然存じ上げませんでした。

そこでネットで調べてみると ここの歌碑にも刻まれている「夕山に鳴きのこりたる鳥の声 一つひゞきて静かなるかも」の歌が有名のようです。

コッフの名前の由来は、医学生のころよく焼き鳥のカシラばかりを好んで食べていた事から学友たちが面白がって、ドイツ語で「フォーゲル・コップ(鳥の頭)」という渾名あだなをつけられ そこでコップと雅号がごうを選んだところが、コップ酒のコップと間違われるために半濁音をとってコッフと号するようになったそうです。

私も最初コップかと思った次第です(^^;)

そして戦後アメリカへ対する風刺的歌も詠っておられるんですね。

あの時代になかなかこのような歌を詠われるなんて 宇和島にもこんな気骨のある人がおられたとは嬉しいですね。


中井コッフの歌

【▼記事は、下記に続く】

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【▲上記の記事からの続き▼】

豚にさえ試さぬ前に日本の 無辜むこの民の上に原爆落とす
(無辜=罪の無い)

 一瞬に骨となりたる三十万 魂あらば呪え鬼畜原子国

東条氏ら七名は皆一角いっかくの 人物なりき南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
(一角=一部分)

東條氏ら天皇陛下万歳を となへて安く果てしとあはれ

 米兵等日本婦人に暴行す 歴史の上に大書たいしょし置くべし
(大書=取り立てて 書き記すこと)

 神ありて戦争裁判するならば 勝ちたる国も共に罰せん

 東京裁判の中に真実の 判事は一人R、Bパル氏のみ
(R、Bパル氏=ラダ・ビノード・パール判事「東京裁判で「日本無罪論」を主張したことで知られる。」)

 人道の罪裁くならば印度人インドじんを 掃射そうしゃしし英を裁けとパル判事いふ
(掃射=なぎ払うように射撃する こと)
「極東裁制所が人道に対する罪を裁くならば 、イギリス人が一九一九年に数千の印度民衆を機関銃で掃射した残虐事件こそ裁かれる べきではないか」

原爆投下の悲惨の決定の判決は 後世が下すとパルまなじり裂く
(まなじり裂く=目を大きく見開く)

マッカーサー 乃木将軍が敵将のステッセル大将をぐうせしを思へ
(遇する=人をもてなす)

世界中いづれの国を見て試ても 武士道を越すエチケットなし

【6】ベンチ


【10】右側の建物がトイレになっています。トイレ側

昔は、こちらの方にクリスマスツリーの様な大きな回転する吊り輪や 猿を飼っていた大きな檻がありましたが、今は無くなっていますね。

【11】この砂場や小屋は、昔のままですね。砂場

石垣の上の建物が郷土館ですね。今日は月曜日だから休みかな?

それでは、天守閣を目指します。

【7】郷土館

今日の「宇和島の散歩道」は、「宇和島城・城山公園」のお話でした。

[宇和島城地図 Simple Map]

愛媛県宇和島市城山公園

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