それでは、早速受付で200円を払って天守閣内に入ってみました。
まず城内に入って目に着いたのが、宇和島城の大きな模型です。
この天守閣の模型は、縮尺十分の一で万延元年に作られたモノのようで 作者は、不詳となっています。
万延(旧字体では萬延)は、日本の元号の一つで安政の後、文久の前で1860年の期間を指します。
この時代の天皇は孝明天皇で江戸幕府将軍は第14代征夷大将軍徳川家茂でした。
昭和37年9月に 修理玄関取り付けと土台石垣が作成されたようです。
そしてお城の模型の上を見上げると 宇和島の伊達のお殿様「第7代藩主伊達宗紀」と「第8代藩主伊達宗城」の肖像画が飾られています。
伊達宗紀は、春山と号し宇和島藩第7代の藩主です。
幕末の歴史の中で全国的にも著名な名君であり かつ百歳の長寿を全うしました。
宗紀は、寛政4年(1792年)に宇和島に生まれ明治22年(1889年)に死去するまでの間 その前期には藩政改革に傾注し 幕末・維新期の宇和島藩の活動の基礎をつくりその後期には、近代の伊達家経済の大計をはかったそうです。
同時に8代藩主伊達宗城とその側近の人材養成にも尽力されていたそうです。
城内の1階の構造は、中央に1つの部屋がありその周り4辺に廊下で囲まれている構造になっています。
廊下の壁には、日本のお城の写真が、展示されています。
二階へと上がる階段は、物凄く急な角度となっています。
よく敵が攻めて来た時に登り難くくするためという防衛上の理由を聞きますが、昔の民家の階段もけっこう急角度に作られていたような気がします。
階段の角度を急にする事で狭い空間を広く有効に使えるようにするという理由から階段を急角度にしたのではと思います。
それでは、二階に登ってみます。
今日の「宇和島の散歩道」は、「宇和島城・天守閣内へ」のお話でした。
[宇和島城地図 Simple Map]