宇和島を訪れた偉人「西郷隆盛」

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宇和島の自然と文化

今日は、宇和島をおとずれた偉人西郷隆盛さいごうたかもりです。

あの有名な西郷隆盛さいごうたかもりが、宇和島に来ていたんですね!

この事を知ってる人ってそうは、居ないんじゃないでしょか?

幕末の風雲いよいよ急を告げる時、長州処分、兵庫開港、その他いろいろな条件がかさなって新しい局面打開をもとめていました。
この局面を打開せんとして 薩摩藩さつまはん西郷隆盛さいごうたかもりらは、尊王諸藩中そんのうしょはんちゅうの有力四候しこうの会議を京都で開き その力で徳川の権力を弱めようと計画していました。

四候しこうとは、薩摩さつま島津久光しまず ひさみつ(77万石)越前福井藩えちぜんふくいはん松平慶永まつだいら よしなが春嶽しゅんがく 32万石)土佐藩山内豊信とさはん やまうちとよのぶ容堂ようどう 24万石)と宇和島藩伊達宗城だて むねなり(10万石)です。

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この四候しこうこそ天下を動かし得る実力者でありました。
そこで大久保一蔵おおくぼ いちぞう利通としみち)は、京都にまって策を練り 小松帯刀こまつ たてわきは、越前福井えちぜん ふくい松平春嶽まつだいら しゅんがくをたずねて その上京を勧誘かんゆう西郷隆盛さいごう たかもりは土佐・宇和島をうて 容堂ようどう宗城むねなりの協力をもとめる手はずがまとまりました。

西郷隆盛さいごう たかもりは、慶応けいおう3年(1867年)正月22日離京、2月1日鹿児島に着き 島津久光しまず ひさみつに上京の賛同を受け同13日海路薩摩藩さつまはんの汽船で鹿児島を出帆しゅっぱんして高知をい 17日山内容堂やまうち ようどう面謁めんえつ、上京を確約させて22日に同地を出帆 宇和島に向かい24日には、宗城むねなり謁見えっけんして上京を勧めました。

宗城むねなりもその趣旨を了解し「出京の上、いかにすべきかという目算は立がたけれど かねてのお約束もあることなれば 上京の上とくとご意見もうけたまわるべし。」と答えた。
この結果は、同年5月の京都における四候会談しこうかいだんの実現となりました。

四国の辺地へんちのわずか十万石の前藩主が、いかに天下に声望せいぼう高かったかが察せられます。

天赦園グランド横の道路上の緑地帯に大きな松の木が立っていましたが この地域は、戦後道路拡張までは、伊達家の邸内で有った所で この松の木の下で薩摩さつまの使者西郷隆盛さいごう たかもり宗城むねなりが対談したと伝えらえています。

今日の「宇和島の散歩道」は、「宇和島を訪れた偉人「西郷隆盛さいごうたかもり」」のお話でした。

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